〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/22 (月) 

米 西 戦 争 (七)

封鎖は、長期にわたった。
この封鎖中に、秋山真之ら観戦武官たちはこの海域に出向いたのである。
この封鎖中、
「いっそ、あの狭い港口にボロ汽船を沈めてセルベラが出ようにも出られないようにすればどうでしょう。つまり、物理的に閉じ込めるのです」
と、アメリカ側で言い出した者がある。
閉塞へいそく である。
この港口閉塞という珍戦術 (どの戦術でも最初に考案された時は珍妙なものである) を考え出したのは、軍人ではない。
いや、軍人であっても戦闘をする兵科の士官ではない。機関科の士官であった。機関科の士官は、この当時、世界のどの海軍でも正規士官にされておらず 「技師」 という待遇を受けていた。
R・P・ホブソンという中尉待遇の若い技師であった。
これがサムソン司令官に意見具申し、
「考案者である私自身が指揮官として参りましょう」
と言った。戦死の確率の高いこの危険きわまりない仕事に、戦闘員でない一技師が進んで行こうとしたのは、この国の人間に共通している冒険精神であろう。サムソンはそれを許した。
ボブソンは、決死隊員をつのた。百人をこえる者が志願したが、ホブソンはその中から八人だけを選んで、部下にした。
自沈用の船として 「メリマック」 という汽船が選ばれた。二千五百トンの貨物船で、いま石炭運びの船として、艦隊にために働いている。
六月三日の未明、雲間に月がある。メリマリックは蒸気をいっぱいにあげた。全速力で港口に向かって突進した。
サンチアゴ湾の入口は戦艦ならやっと一隻通れるほどに狭い。そこを目指した。が西口に砲台がある。
── 砲台に気づかれてしまえば地獄だ。
ということは、たれの頭にもある。砲台は沈黙していた。
が、それより前に、港口を夜間哨戒しょうかい していた小さな砲艦にみつかった。砲艦は艦を停止させたまま砲門を開いた。速射砲であった。息つくひまもないほどのいそがしさで撃ちはじめた。一弾が命中した。
その爆発で、西口砲台の照準手の目にメリマックの姿がくっきり映った。砲台は火を噴きはじめた。
船の前後左右に砲弾が落ち、大きな水柱をあげた。機関銃弾まで飛んで来た。
メリマックは、その吃水線きっすいせんの下に自沈用の水雷をいくつもぶらさげていた。もしそれに敵弾の破片でもあたればホブソン技師以下九人のアメリカ人の命は宙空に吹っ飛ぶであろう。
メリマックはスペイン人の要塞砲と艦砲の袋叩きに遭いつつ進んだ。一分ごとに船形が変わった。煙突は飛び、船橋は八つ裂きになり、船体はかたむきながら進むが、舵機だき をこわされたらしく、思う方向に進まない。
閉塞は、ホブソンが考えたような設計通りには行かなかった。舵機がきかなくなったため潮の流れに身を任せた形になり、十分な位置へ持って行けなくなった。ホブソンは、水雷の自爆を命じた。
自爆した。
船はいったん左へかたむいたが、すぐ船首から沈みはじめ、やがて船尾を高々とあげて海面下に姿を没した。
そのときには、ホブソン以下は用意のイカダにしがみついた。イアカダにはむろん自走装置はなく、ゆるやかに潮に流されて行く。夜明けを待つ。あとは敵が発見してくれることを待つのみである。
「ボートを用いずイカダうぃ用いたのは、ホブソンは最初から事を決行したあと捕虜になるつもりであった」
と、真之はあとでこの閉塞についての報告を書いたが、もし日本でこれをやる場合、捕虜になるという思想が薄いために、閉塞隊員の生命の保証はまずないとみなければならない。
朝になって、ホブソン以下九人は、スペイン艦隊の汽艇に拾われ、戦時国際法どおりの手あつい看護を受けた。
が、閉塞そのものは失敗であった。閉塞船は港の入口に対してヨコに沈まずタテに沈んだため、スペイン艦隊の出入りの邪魔には少しもならなかった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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