〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/21 (日) 

米 西 戦 争 (五)

(その奥のもっと深いところに)
と、真之は考えた。
(民族的性格、活力の方向といったものがあるのではないか、それを簡単に民族的能力と言い替えてもいい)
真之はそう思うのである。
(文明の段階々々で、ぴったりその段階に った民族というのが、その歴史時代を担当するのではないか)
スペイン人は、十五世紀の大航海時代という世界史の段階では、大いにその能力を発揮した。あの時代、つまり世界の大半がつかみ取りのような段階であったとき、スペイン人の持っている熱血性、熱狂性、向こう見ず、といったふうな気質や能力が、その条件にぴったりだったと言えるかも知れない。
が、文明の段階が十六世紀の後半に入ってくると、個人的な冒険精神だけでは大仕事が出来なくなる。
海戦史でもそうである。せいぜい二隻か三隻の武装船で地球の未知な世界を征服できた時代は終わり、艦隊という組織的な力というものが登場した。海軍だけでなく、商業や鉱業の世界でも、人間の組織を有機的に動かす以外に大仕事が出来なくなった。
そう能力を持った民族は、日常の社会を組み上げて行くにおいてすでに組織的である。スペイン人にはそれが欠ける。
イギリス人が、それに長じている。彼らは組織と組織秩序を重んじ、後世のドイツ人ほどでないにしても、スペイン人と比較すればきわめて堅牢な社会をつくり上げて来た。この秩序に対する服従精神と、組織運営の上手さは、商業においては会社をつくり上げ、軍事においては近代的な意味での 「艦隊」 をつくり上げた。
この点、スペインの無敵艦隊アルマダは艦数こそがるかに多いが、一艦ごとが中世的な一騎武者であり、それら一騎武者たちの寄り合いが艦隊であったに過ぎず、ハワード卿率いるイギリス艦隊とはまるで違っている。イギリス艦隊は、一艦ごとの乗組員の組織が機械のようであり、乗組員は機械の部品たるべく訓練されており、その一艦ずつが艦隊を組むとき、艦隊そのものが巨大な機械になり、その組織の目的に向かってきわめて有機的に動く。
その文明時代が、なおもつづいている。
(今はいよいよそれだ)
と、真之は思った。
スペイン政府は、米西戦争を決意するにあたって、セルベラ少将に艦隊とその指揮権を与えたが、軍艦の個々はじつに問題が多い。主力艦ともいうべき 「ビスカヤ」 は疲れ切った艦で、蒸気も短期間には上がらない。水雷艇のほとんどは旧式だし、諸艦のうちイタリアから買い入れた巡洋艦 「クリストバル・コロン」 には設計図にある主砲が取り付けられていない。また日清戦争の黄海海戦で有効と認められて流行のようになっている速射砲については、各艦ともそれを備えてはいるが、弾量が足りない。
国家と民族そのものが整然たる艦隊を準備するという基本的能力において欠けているとしか、スペインの場合はいえないであろう。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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