〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/21 (日) 

米 西 戦 争 (四)

読書マニアの真之は、アメリカとスペインとの雲行きがあやしくなると、スペイン関係の書物をあさっては、その歴史や民族性を知ろうとした。
相変らず、要点主義である。
── なぜスペインは、往年の栄光を失ったのか。
というのが、彼が知ろうとしていることであった。
往年、というのは十五、十六世紀のことである。日本でいえば室町・戦国のころから豊臣時代にかけてである。この世界史上のいわゆる大航海時代にスペイン王国は国家そのものが巨大な冒険家であり、冒険精神に富み、商人や船乗りたちは風帆船に乗って隅々まで出かけ、未開地帯に上陸して領土とした。西インド諸島や中央アメリカ、フィリピン諸島などを占有し、同種族のポルトガル人とともに世界の植民地を分け取りにするような盛大さを示した。たとえば極東の島に住む当時の日本人たちからすれば、
「南蛮人」
といえば、スペイン人かポルトガル人のことであった。
十六世紀のはじめ、南アメリカのほとんどを版図はんと に入れ、さらに膝元のヨーロッパにあっても、オーストリア、ドイツ西南部、北部イタリアなどをその手におさめた。
スペインの栄光の最後であったであろう。その世紀の八八年、日本でいえば豊臣政権が確立した頃、この国はイギリス本土を襲おうとした。
そのため史上有名な無敵艦隊アルマダをつくった。
このことは、マハンの名著 「海上権力史論」 にくわしい。
無敵艦隊の戦艦は百二十七隻。
砲は二千門。
船員は八千人である。
これに二万人近い陸軍部隊を乗せ、一五八八年五月末、ポルトガルのリスボン港を出港した。
イギリス側は、八十隻の戦艦しか持っていない・しかし船の性能がよく、一艦ごとの機動性は無敵艦隊にまさっていた。さらにイギリス側の優越性は、乗組員の訓練の精度が比べものにならないほど高かったこと、士官の指揮能力がすぐれていたこと、とくに司令長官ハワード卿が権限を分与しているドレークやホーキンズが将としてすぐれていたことなどの諸点を持っていた。
結局、無敵艦隊は足の早い英国艦隊をとらえられず、カレー港に入って休息したとき夜襲をうけ、大敗を喫し、ついでグラヴリーヌ沖の海戦で決定的に敗北し、残存艦隊は逐次追撃されて本国へ帰ったのは五十四隻でしかなかった。
この海戦を境にスペインの大凋落だいちょうらくがはじまり、かわってイギリスが世界の海上権を握るにいたるのだが、真之は、
── 問題は一戦の敗北ではあるまい。
と、考えた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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