〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/20 (土) 

米 西 戦 争 (二)

要するにスペインに対する戦争はマッキンレー大統領も好まず、実業界も好まず、海軍卿ロングも好まなかったが、通俗世論ががむしゃらにアメリカを開戦へひきずった。
政府がやっと腰をあげたのは、明治三十一年、一八九八年の二月二十五日である。海軍省は各方面にいた諸艦隊に対し、要地々々に結集するように命じ、翌三月九日、臨時国防費の支出を決定した。戦備のための金である。
四月に入り、米国政府はスペイン政府に対し、キューバ島の独立を認めよという旨の交渉をした。ヨーロッパの外交常識では、ちっと考えられぬ立ち入り方であった。
当然、スペインにすれば、
「要らざるおせっかい」
ということになるであろう。むろん応ぜず蹴った。
このスペイン政府の態度は、アメリカ人のアメリカ的な善意をいちじるしく傷つけ、世論は沸騰し、黄色紙はそれをいよいよあおった。
四月十九日の米国議会は、ついに重大な権能を大統領に与えた。
「大統領はスペイン政府に対しキューバ島より陸海兵力を撤退すべきことを要求せよ、この要求をスペイン政府に容れしめるについて武力干渉が必要であれば、それを発動する権能を与える」
というもので、要するに何の利害も無い第三者が喧嘩を買って出たのである。こういういわば無邪気な、しかしおよそ他人迷惑な、純情といえばもっともそれに似ているのがアメリカ合衆国の伝統的発想法なのかも知れず、後年、満州事変以後の日本はアメリカのこの強力な 「善意」 のためにさんざんな目にあい、ついに対米戦争にのめりこまざるを得なかったし、さらにそれよりも後年のベトナム問題に対するアメリカの介入の発端も、多分にこういう世界史に類のない 「善意」 にもとづいている。
スペインは、悲鳴をあげた。この窮状を、ヨーロッパの他の国々に訴えまわった。フランスは全面的に同情した。ドイツも同様であり、ハンガリーやオーストリアもアメリカのこの強引さを非難し、スペインに同情した。
が、アメリカはその政策を進行させた。スペイン政府はもはやこの段階がアメリカの実質的な宣戦布告であると解釈し、四月二十三日、アメリカに対し宣戦を布告した。
二日後に、アメリカはスペインに対し正式に宣戦を布告した。後世になって思えば茶番のようであるが、国家間の茶番はたとえ茶番であっても巨大な歴史をつくってゆく。
「両国とも海軍が戦争の主役になるだろう」
というのは各国駐在武官の一致した見方であり、当然、ワシントンの公使館にいる真之はこの課題の分析と予想に多忙であった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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