アメリカ合衆国というのは、それをつくりあげた連中にとっては理想社会というにちかく、そういう満足は自負心になり、その自負心がこの世紀でもっともモダンな市民国家であるこの国の人びとの背骨のようになっている。 その自負心は、 「他の地域の人びとも、アメリカのような自由な社会を持つ方がいい。いや、われわれアメリカ人はそれを他の地域に及ぼす親切心を持つべきである」 という、意識が広がって行く。真之がアメリカへ行った時期は、アメリカ独特の奇妙な親切心
(おせっかいともいうべきだが) が、ヨーロッパで流行している帝国主義の気分と入り交じって、国家膨張思想が議会の一部にも民衆の中にも、熱気を帯びて高まりつつあった。そのことはさきに、わずかに述べた。 そういう気運の中で、キューバの問題が過熱してきた。 この砂糖の島といっていい地域は、四世紀にわたってスペイン領であった。 中世の冒険的な海洋国家であったスペインは多くの植民地をアメリカ大陸に持っていたが、十九世紀のはじめ、それらは次々に独立した。 ところが、プエルトルコとキューバとはこの独立時代から取り残され、その後、十年戦争と呼ばれる大反乱をスペインに対して行ったり、大小の革命事件をたえず行って来たが、そのつどスペインの武力で鎮圧された。 要するにキューバは、スペインの圧政下にありつづけている。その原因はさまざまあるが、軍事的な面だけでいうと、このキューバにスペインの強大な陸海軍基地があったためであり、反乱軍はつねにスペイン政府軍と兵力や兵器の点において格段に劣勢であったからである。。 日本でいう明治二十八年、一八九五年に第二次独立戦争が起こったが、政府軍によって各地で鎮圧され、その進行中、政府軍は革命分子に対し、酸鼻
をきわめた虐殺と破壊を大規模にやった。 隣接するアメリカの世論は、こういう場合、いつもそうであるように弱者に味方した。彼ら市民のうちの一部は、 「なぜキューバを救わないか」 と政府に訴えたが、大統領マッキンレーはこれに動かされず、中立をまもった。モンロー主義の手前もあったであろうし、もしキューバに干渉すればアメリカはスペインを相手に戦争せねばならなくなるからであろ、この場合の戦争は、アメリカに利益をもたらさない。 が、ジャーナリズムが政府のこういう態度に対して不服であった。良質な新聞は別として、低級な新聞
(黄色紙イエローペーパー)
が紙面をあげて戦争気分をあおった。彼らは 「無智で浅薄で景気のいいことがすきなアメリカおやじ」 どもの感情に迎合し、迎合することによって新聞を売ろうとした。 真之の滞在中に起こった米西戦争は、戦争というものの社会科学的必然性はなにもなくて勃発した。アメリカ政府を戦争へ引き込んで行ったのはハースト系の新聞とピュリッツツァ系の新聞であったという点で、世界戦史の珍例とすべきものであった。 |