〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/19 (金) 

渡 米 (十四)

真之は、戦略戦術の天才といわれた。
が、ひょっとすると、天才ではないかもしれない。そのことは彼自身が知りぬいていたし、第一、明治海軍に天才などはついに居なかった。
まず真之の特徴は、その発想法にあるらしい。その発想法は、事物の要点は何かということを考える。
要点の発見法は、過去のあらゆる型を見たり聞いたり調べることであった。彼の海軍兵学校時代、その期末試験はすべてこの方法で通過したことはすでに述べた。教えられた多くの事項をひとわたり調べ、ついでその重要度の順序を考え、さらにそれに出題教官の出題癖を加味し、あまり重要でないか、もしくは不必要な事項は大胆に切り捨てた。精力と時間を要点にそそいだ。真之が卒業の時、
「これが過去五年間の海軍兵学校の試験の問題集だ」
といって同郷の後輩竹内慶三郎に、
「人間の頭に上下などはない。要点をつかむという能力と、不要不急ものは切り捨てるという大胆さだけが問題だ」
と言い、それをさらに説明して、
「従って物事が出来る、出来ぬというのは頭でなく、性格だ」
とも言った。
真之の言う要点把握術は、永年の鍛錬が必要らしい。
真之が死んでその追悼会が芝の青松寺で行われたとき、席上、彼の日露戦争の時の上司であった島村速雄はやお は真之を追憶し、評価した。その速記録によると、
「日露戦争における海上戦の作戦はすべて彼の頭脳から出たものであります」
と、当時の歓待参謀長 (後のこの職は加藤友三郎) としての立場から明言し、
「彼が前述の戦役を通じ、さまざまに錯雑してくる状況をそのつどそのつど総合統一して解釈して行く才能にいたっては実に驚くべきものがありました」
これが、真之の兵学校入校以来鍛錬して来た要点把握術であろう。
さらに、島村は真之を世評どおり 「天才」 と言った。
「彼はその頭に、滾々こんこん として湧いてつきざる天才の泉というものを持っている」
その 「天才」 と島村がいう頭の構造は、島村がそれを解説して、
「目で見たり、耳で聞いたり、あるいは万巻の書を読んで (真之は米国でもそうだったが、もの狂いじみた読書家だった) 得た知識を、それを貯えるというより不要なものは洗い流し、必要なものだけを貯えるという作用をもち、事あればそれが自然に出てくるというような働きであったらしい」
ち言った。
これを真之流にいえば、性格・・ として要点把握がすきであったためのものらしい。
渡米にあたって彼自身が選んだ目標が戦略と戦術以外は考えないというのも、この人物の頭 (あるいは性格) がそのように出来ていたからであろう。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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