〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/19 (金) 

渡 米 (十三)

アメリカ海軍は、その程度であった。
が、海軍当局は一流たろうとし、大拡充案をつくり、毎年議会に働きかけては予算の大部分をつぶされている。アメリカの大多数の納税者の意思は、
「なぜそれほどの大艦隊を持つ必要があるのか。ヨーロッパの海軍国とは建艦競争をせねばならぬ理由は、アメリカにはない」
ということであり。依然として建国以来の孤立主義が障害になっていた。第一、財界の支持がうすかった。ヨーロッパ諸国のように市場獲得のために 「国威」 を他の後進地帯に向かって伸張せねばならぬ理由は、この当時の米国経済には薄弱だったのである。
ともかく、アメリカ海軍は英仏独などと比べてこの当時、
「新興海軍」
といわれた。この国の海軍当局が四苦八苦して、一隻二隻と軍艦をふやしはじめたのは、まだ一八九〇 (明治二十三) 年からでしかないのである。この年、海軍当局は、
「十年以内に一等戦艦を十隻もつ」
と、計画した。
が、議会の反対で進まず、真之が渡米した明治三十年においてアメリカが保有している戦艦はわずか四隻であった。もっともそれらはまだ艦齢四、五年という新造艦ばかりで、「テキサス」 の六三一五トンをのぞいてはみな一万トン強のものばかりであった。
海軍はまだすぐれている。陸軍にいたっては海外に派兵するような状態が想定できぬ成り立ちの国であるため、常備軍はわずか二万七千人しかいない (海軍の存在は陸軍の存在理由に比べればはるかに必要であるということとは世論としても認められているために、拡張しにくいといっても、陸軍よりはましであった)
軍人の社会的地位も、ヨーロッパの列強のそれに比べれば、ずいぶん低い。たとえばヨーロッパでは軍人に中将や大将の位をふんだんにくれてやっていたが、アメリカはそういうことがなかった。
古い話だが、ペリーが日本に来た時は東洋艦隊の司令官という資格であったが、それでも階級は大佐でしかない。
大佐が、実役者じつえきしゃの最高官といってもよかった。たまにspan>代将コモドーア にのぼる者もあった。
一八六二 (文久二) 年、初めて、
海軍少将リア・アドミラル
という階級をつくった。真之が渡米した時も、米国海軍をにぎっている最高階級者は少将たちであった。大将や中将をつくりたがらぬ点、いかにも市民国家らしいよさがあったといえるであろう。
右のように、アメリカ海軍が拡張期に入った十九世紀後半には、アメリカ国内の工業力の成長がそれにともなっている。工業生産力と技術能力が、遅ればせながらヨーロッパの一流国のそれに追いつきはじめていた。その伸びる率からいえば早晩追いこすことは確実であり、そういう面の上昇カーブと海軍拡張とが符合している。
真之が渡米したのは、そういう時代であった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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