〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-X』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/18 (木) 

渡 米 (十二)

アメリカ海軍というものが日本に接触したのは、むろんペリーの来航にはじまる。この時日本人はいわゆる黒船の威容を見て、列強の帝国主義の恐るべきことを敏感すぎるほどの敏感さで感じ、幕末の騒乱はこの時からおこった。
が、その頃のアメリカの海軍は、世界のニ流か、それ以下でしかない。
その後、長く二流であった。その後南北戦争という内乱を経たが、この時ですら海軍力はさほど活躍しなかった。
さらに言えば、ヨーロッパ風の帝国主義はこの新国家の風土と っていない。国内に未開フロンティア が多く、それをアメリカ化してゆくことで十分であり、外交的にも十九世紀前半いっぱいはヨーロッパに対し孤立主義をとっていた。こういう国情のもとでは、海軍が拡大されるという必然性がない。
が、十九世紀の国家というのは、その国家的生理として膨張を欲する。アメリカ合衆国といえども国家である以上、その生理的欲求は内在していた。
それが表に現れて来るきっかけをつくったのは、一八六七 (慶応三) 年ロシアが、
── アラスカを買わないか。
ともちかけてからである。かつてロシアはその膨張政策によってアラスカに侵入してそれを領有したが、その後経営に困り、アメリカに交渉してきたのであった。アメリカは買った。わずか七二〇ドルであった。
その後ラテン・アメリカに関心を示す一方、太平洋に 「落ちている」 島々に目を向けはじめた。アラスカ買収と同じ年、はるか太平洋の真中のミッドウェー島に星条旗を持って行き、簡単に領有した。この島は偶然ながらヨーロッパ諸国の侵略の手から落ちこぼれていたので、いわば拾ったようなものであった。遅まきの帝国主義国らし、そのようなことをした。
ついで一八七八(明 治十一) 年、南太平洋のサモア群島に手をのばし、島の首長をだましてそのうちの一島を租借して海軍基地を設けた。
さらには、ハワイである。サモア群島に手をつけているころから、すでにハワイ群島に対し保護政策というヨーロッパ列強のよくやる手を用いたが、一八八七 (明治二十) 年この島の真珠湾に軍港を設ける権利をハワイ国の女王から得た。この時期前後から政策の必要上、海軍が拡充されはじめた。
一八九三 (明治二十六) 年、ハワイで革命が起こって王宮が包囲された。革命軍の主力はアメリカ人であり、水兵までが頼まれて加勢し、女王を退位させた。革命政権はアメリカに合併してくれと要請した。
もっともこの出先機関のあまりな露骨さに時のアメリカ大統領クリーヴランドは拒絶したが、しかし世論は領土拡張の景気よさで沸きつつあり、真之が渡米した年に合併してしまっている。
要するにそれまでの二流の下程度だったアメリカ海軍は、サモア島租借からハワイ合併までの時間内に飛躍的に拡充されて二流の上位へのぼっている。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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