「そんなにお痛みか」 と真之はのぞき込んだ。 「穴があいているのよ」 子規はひどく優しげな表情をしていた。この三月に手術をした時に出来た穴で、そこから膿
が出ている。穴も痛いが、背中はただれて皮が剥は
げ、ときどき腰に畳針を突っ込まれたような痛みがあり、繃帯をかえるときなど、 「恥も外聞もなく狂声をあげるのよ」 と言った。 「今日はいいのか」 「うん、痛みは二六時中ではないから、こういうときは文章を書いたり、俳句をつくったり、絵をかいたりする」 「絵?」 絵は子供のとき真之の得意芸で近所に鳴り響いていたものであったが、ちかごろは他人の絵にも関心が無い。 枕頭に、絵が置いてある。 「その絵を、何の絵とお見たら・・
?」 と、子規が言った。 真之が取り上げてみると、なにやら赤くてまるいものがかいてある。柿だろうと思い、そのように答えると、子規は満足げにうなずき、 「ようお見た。それは柿じゃ」 と、言った。 「ところが高浜の清という男、あのおとこ、淳さんは知っておいでとろう?
あの清がやって来て、この絵をじっと見て、馬の肛門みやようじゃ、tp言いおった。柿ぞな、というと、じっと見ていて、そういえばそのように見えてきた、と言うたぞな」 「なるほど」 そいうえば馬の肛門のようでもあり、馬好きの兄の好古に見せてやれば喜ぶかもしれない、と思ったりした。 「升さん、あれじゃな」 「あれとは」 「俳句よ。升さんの主唱してきた新俳句が去年あたりからどっとついてきたそうじゃな。あし・・
はよう知らんが、海軍の水交社の事務員でそういうことに明るい男がいて、いつも升さんの名をご念仏のように唱えているが」 「そうかな」 子規は子供のように嬉しそうだった。 「しかし、敵もいるぞな」 こっちが新聞でやっつけるからだ、と子規は言い、それでも敵はあし・・
にはそれほど食ってかからぬ。なぜといえばあしはこのように腰も立たぬ病人で、いつ死ぬかも知れぬということがあり、敵もそれを知っていてつい鋭鋒えいほう
がひるむのじゃ、あし・・ はトクをしている、と笑った。 子規はその笑顔のまま、真之のアメリカ留学のことに話題にかえた。 「海軍といえばイギリスかと思うたが、アメリカにも海軍はあるのか」 「ペリーの名をお忘れか」 「ああ、そうじゃ。アメリカの海軍ちゅうのは、強いか」 「イギリスという別格をのぞけば、フランス、ドイツ、ロシア、それにアメリカ、ほぼ同じようなものかな」
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