威海衛は、どの軍港要塞でもそうであるように、陸上要塞は陸軍の管轄になっている。 その陸軍司令官が、戴宋騫である。日本軍がやって来る直前、丁汝昌はこの陸上の守備に不安を感じた。 「兵が少なすぎるのではないか」 と、思った。 ここで戦術上最もいいことは、海兵をあげて砲台を守らせ、陸兵は砲台から出て天嶮てんけん
を利用しつつ機動的に動き、全力をあげて日本陸軍の侵攻を防ぐことであった。 丁汝昌はそれを戴宋騫に提案した。が、戴はきかず、 「海軍の指図は受けぬ」 として、きびしくはねつけた。やむなく丁は、李鴻章に訴えた。 丁汝昌としては、無理はなかった。港湾をめぐる砲台群が陥落すれば、その砲門は日本軍によって向きを変えさせられ、港内の艦隊は、まるでたらい・・・
の中の物を石で沈めるように沈められてしまう。そのうえ、丁は清国陸軍の質の悪さを陸軍あがりだけによく知っていた。彼らは近代戦術に暗いばかりか、砲の操作にも熟練していない。それから見れば海軍の将兵の方がはるかに練度れんど
が高い。 李鴻章は、それに賛成した。彼の方からその旨宋騫に指示したが、戴はすでに感情的になっており、 「丁汝昌の魂胆は、陸軍の功を盗もうとするにあります。各砲台の防備は彼が指摘するようなものではなくはなはだ堅固であり、海兵の助けはいささかといえども不要であります。そのうえ、今戦わざるうちに各砲台から兵を撤去させるようなことがあれば、戦意は低下し、人心は動揺し、ついには乱を招くかも知れません」 と言い、李鴻章を承服させた。 丁汝昌はなおもあきらめなかった。 「せめてこれだけでも承知してもらいたい」 と、戴に要請したのは、港口にある竜廟嘴りゅうびょうし砲台の大砲をはずしてしまうことであった。丁汝昌の見るところ、この砲台は全体の守備状況から見て地形上とうてい守りきれないとし、もしこれが無傷のまま日本軍の手に押えられれば港内の艦隊は最悪の危険にさらされるということであった。が、戴宋騫はそれもはねつけ、李鴻章に対し、 「丁汝昌は暴慢きわまる。かつ越権もはなはだしい」 と、訴えた。 海軍側の外国人幕領の一人である米国人ホーウィーは終始清国への同情を持ち続けていたが、それですら、 「派閥抗争は老朽した国家の特徴である。彼らは敵よりも味方の中の他閥の方をはるかに憎む」 と、嘆いた。 結果は、丁汝昌の心配通りになった。日本の第二軍が上陸するや、清国陸軍はほとんど抵抗することなく砲台を捨てて逃げた。 |