戦
における勇猛さ、大胆さというものは、どういうことなのか。 好古は、かつてそれを考えたことがある。彼は軍人である以上、それを考えねばならなかった。 戦国末期の武将で、加藤嘉明よしあき
という人物がいる。豊臣秀吉によって子飼いから育てられた秀吉の軍事官僚で、一時、好古の故郷の伊予の国の大名になったことがある。伊予松山城は彼が築いた城で、好古は年少の頃からこの武将の名を身近なものとして感じて来た。 嘉明は晩年、ひとから、 「どういう家来が、いくさに強いか」 と、聞かれた。当然、強いといえば天下に響いた豪傑どものことであるという印象がその当時の世間にもある。 が、嘉明は、 「そういうものではない。勇猛が自慢の男など、いざというときどれほどの役に立つか疑問である。彼らはおのれが名誉をほしがり華やかな場所ではとびきりの勇猛ぶりを見せるかもしれないが、他の場所では身を惜しんで逃げるかも知れない。合戦というものは様々な場面があり、派手な場面などはほんのわずかである。見せ場だけを考えている豪傑など、少なくとも私は家来としてほしくない」 と、豪傑を否定し、戦場でほんとうに必要なのはまじめな者である、と言った。たとえ非力であっても責任感が強く、退くなといわれれば骨になっても退かぬ者が多ければ多いほど、その家は心強い。合戦を勝ちへみちびく者はそういう者たちである、と嘉明は言う。 ──
いくさは、たれにとってもこわい。 と、好古はかつて弟の真之にも語った。生まれつき勇敢な者というのは一種の変人に過ぎず、その点自分は平凡な者であるからやはり戦場に立てば恐怖がおこるであろう。 「そういう自然のおびえをおさえつけて悠々と仕事をさせてゆくものは義務感だけであり、この義務感こそ人間が動物とは異なる高貴な点だ」 と、言った。 この日清戦争における好古は、一将校としての義務感以外に、さらに大きなそれによって動いていた。 騎兵のことである。 「騎兵など、無用である」 という意見が、陸軍の内部に頑固に根を張っていた。騎兵は創設費も維持費もうんとかかる金食いの兵科であるとともに、防御力が実に弱い。敵歩兵の一斉射撃の前にもくずれるし、敵砲兵の集中弾を受ければ、歩兵と違って露出部隊であるために損害がきわめて大きい。なるほど突撃力、打撃力は大きいかも知れないが、それで成功する戦略的戦機をさがすのは実にむずかしく、機会はまれである、というののであった。 好古は、味方のこの意見とたたかわねばならない。たたかうには戦場で勝つ以外にはなく、彼は行軍中も戦闘中もつねにそのことだけが脳裡にあった。
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