〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-W』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/05 (金) 

日 清 戦 争 (四十二)

遼東りょうとう 半島の花園口かえんこう という海浜の寒村に上陸したのは、十月二十四日である。
「金州および大連湾付近を占領すること」
というのが、第一師団に対する軍命令であった。好古の騎兵大隊は金州の敵情を偵察するために前進した。好古にとっても、日本騎兵にとってもこれは初陣ういじん というべきであった。行動を開始したのは十一月の初めである。天はすでに寒く、地が凍って馬のひづめ が割れそうであった。彼らは復州街道を行き、やがて四十里堡りほ 付近ではじめて敵に遭遇した。
「敵騎兵、約二百」
という急報が斥候せっこう によってもたらされた時、好古は馬から降りて丘にのぼり、双眼鏡を取り出した。この眼鏡は西洋の婦人がオペラ見物につかう倍率の低い眼鏡で、役者の顔は見えてもはるかな敵情を見るには不適当であった。もっともこの時代、砲兵科をのぞけば、どの将校もこの程度のものしか持っておらず、ツァイス双眼鏡が行き渡るのは日露戦争後になってからのことである。
刻々、斥候からの報告が来る。好古が練り上げた 「騎兵」 は十分に機能していた。それらによると、敵の騎兵二百は、こちらの存在に少しも気づかずにやって来るという。
好古の大隊には、歩兵が一個中隊つけられている。これによって 「秋山支隊」 と呼ばれていた。
歩兵中隊長はただちに部下を散開させ、地物によって身を隠させ、射撃の用意をさせた。
「ええかな」
と、好古は歩兵中隊長の大尉に言い含めた。わしはヨーロッパで大陸というものがどういうものかを知っとるが、このように広々としておっては距離を近くに見あやまりがちなんじゃ。敵を十分ひきつけてから射撃せよ。二、三百メートルに来てから射て、と言った。
好古は、どう見ても普段のままの顔つきである。
他の将校は、みな逆上あが っていた。歩兵大尉は、ことにひどかった。
敵は、だんだん近づいて来る。歩兵大尉はたまりかねて、
「もう、距離五百であります」
と、好古に噛みついた。好古はオペラグラスを取り出して、 「いけんな、まだ八百はあるぞな」 と言った。
ところが歩兵大尉は我慢しきれなくなり、散兵線に対し、射撃を命じた。
敵は立ち止まった。
ゆうゆうと引き返し始めたのである。日本歩兵の小銃弾は一発も敵に達せず、その中間に落ちてはさかんに砂煙を上げた。敵はその砂煙の向こうで姿をしだいに小さくし、ついに地平線のむこうに消えてしまった。
好古は、笑いだした。
「いま、君は何百で撃たせたかい」
と、問うた。歩兵大尉が三百の照尺をかけさせました、と答えると、好古はおかしそうに鼻をこすり、支隊の前進を命じた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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