〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-W』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/05 (金) 

日 清 戦 争 (四十一)

宇品を発ったのは、十月五日である。好古が属している第一師団は、三梯団ていだん に分かれてそれぞれ上陸地に向かった。
「これが汽船か」
と、初めて見て感心する兵も多かった。ただし彼らのこの頃の輸送船は、千トン前後の小船で、外洋に出るとわずかな波にも揺れた。ほとんどの者が船酔いをした。
ちなみに、当時の日本海運界には、汽船が四百七十隻、全部で十八万千八百十九トンしかなかった (ほかに帆船が二百二十二隻三万三千五百五十三トン)
陸軍の参謀次長の川上操六は、開戦に当ってこのことがまず苦の種であった。陸兵を輸送出来なければ戦おうにも戦えないであろう。
これについて、挿話がある。開戦前、川上は混成一個旅団を朝鮮の仁川に送るに当って船の手配をしようとし、日本郵船所属の船舶のリストを点検した。当時、日本の汽船の総保有数のうち、日本郵船が三分の一を持っていた。
川上は、副社長近藤廉平れんぺい を呼んだ。
── 大演習のため。
という名目で、リストの中から十隻の汽船に赤点をつけ、 「いそぎ借り上げたい。これらを一週間以内に宇品に集めてもらいたい」 と言った。
近藤は、阿波の人、大学南校、慶応義塾に学び、のち岩崎弥太郎に認められた。今年四十七歳である。
「承知しました」
と、言ったが、しかし会社には会社の規定がる、によって、この件、役員会の議に付し、その決定をみた後正式にお引き受けすることになる、左様ご承知ありたい、とつけ加えた。
川上は、難色を示した。そういう会議にかけられてしまえば機密の保持はもはや期し難いであろう。当時、清国がスパイを東京や横浜に潜入させてしきりに日本の動静をうかがっていることをむろん川上は知っている。
「あんたの肚ひとつでやるわけにはいかないか」
と言った、近藤は、かぶりをふった。
ついに川上はにおわさざるを得なかった。大演習というのはじつは表向きだけのことである、ということをである。
「とにかく重大秘密である。もしこの事情が漏れれば国家の大事は去るであろう。あなたはその秘密を守ることを誓われるか」
その言葉で、近藤は開戦を察した。が、川上の言い方が気に食わなかった。
「わざわざご念を押されるとは心外である。ゆらい秘密は官界から漏れるといわれる。私より閣下こそ口に注意されよ」
「これは聞き捨てならぬ。この川上が秘密を洩らす怖れがあると言われるのか」
「閣下がこの近藤を疑うからそう言うのです。この秘密はわれわれ二人しか知らぬ。もし洩れれば犯人は閣下か私かのほかあるまいから、その時は私は閣下の胸ぐらをとり、刺し違えて死ぬ」
華やかといえば華やかな明治のナショナリズムが、この戦争を遂行させている。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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