〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-W』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/04 (木) 

日 清 戦 争 (三十七)

清国艦隊も、よく戦った。
鎮遠乗組みの米人マクギフィン少佐は開戦早々のころの鎮遠の艦内の状況を次のように描写している。
(開戦寸前) 頭に辮髪べんぱつ をまきあげ、両腕をはだかにした浅黒い壮漢たちは、甲板に並んだ砲側に群れ、今や殺すか殺されるかという緊張のもとに号令を待った。甲板上には、戦闘中、足が滑らぬように砂がまかれていた。重い沈黙が、艦の上部構造にも艦の腹部にも満ちた。弾送滑車のそばにも、揚弾機のそばにも、水雷室にも、号令を待つ清国人が無言でそれぞれの姿勢をとっていた。一人の少尉は、マストの上にのぼり、六分儀をもって距離を計り、それをいちいち下の方へ小信号旗をもってしら せている。距離の報せがあるたびに砲手はその分だけ照尺を低くした。それが五千四百メートルになったとき、旗艦定遠の砲が え、敵の吉野艦のそばに落ちて水煙を吹き上げた。これと同時に鎮遠は、旗艦にs続く第二弾を吉野に送った。しかし日本艦体の砲は応射せず、これらが応じて来たのは五分の後であった」
「ほどなく鎮遠の十二インチ砲が送り出した一弾がまさしく日本の先鋒隊の一艦に命中した時は、艦内は手をうって歓呼した」
この鎮遠がほこる十二インチ砲の命中弾を受けたのは、おそらく連合艦隊の旗艦松島でったであろう。松島は、千七百メートルの近距離まで鎮遠に近づいたとき、鎮遠の十二インチ砲二門が同時に咆哮ほうこう した。その砲弾は松島のブリキのように薄い艦腹をつらぬき、そこでは爆発せず、砲楯ほうじゅん に当って爆発した。さらに砲側にうず高く積まれてあった装薬をも爆発させたため、その音響は天地をふるわせ、付近にいた九十六人を一挙に死傷せしめ、さらに備砲をこわし、そのうえ舷側に張ってある鋼板をめくり上げ、艦骨まであらわになった。すざまじい威力であった。
この海戦中、日本艦隊が鎮遠に命中させた砲弾は二百二十発にのぼった。さらに定遠には百五十九発を命中させたが、しかし両艦をよろ っている装甲板をついに貫通させることが出来なかった。ただ、両艦ともしばしば火災をおこし、猛煙が艦をおおい、このため両艦の乗組員は艦上活動がときに中断された。
戦闘四時間半で、清国艦隊は十二隻のうち四隻が撃沈された、経遠、到遠、揚威、超勇であった。さらに広甲が擱座かくざ した。が、日本側は一艦も沈んでいない。
清国艦隊の残る七隻が戦場を離脱し、旅順方面に向かって逃げた。
伊藤裕亨はこれを追うべきであったであろう。敵を追撃して戦果を拡大することが戦術の原則であったが、夕刻、艦隊をまとめて引き揚げてしまっている。この点、清国艦隊の参謀マクギフィン少佐は不審とし、
「日本の主力は戦闘力がなおたっぷりあるというのに、どういうつもりか南東の方向に引き揚げてしまった」
と言っている。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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