V字型の横陣をもって、清国艦隊はのろのろと進んで来る。 これに対し、日本艦隊は単縦陣をとり、猛速度をもって接近した。 「単縦陣」 というのは日本海軍のお家芸といっていいであろう。 艦隊が一列縦隊になって突撃する。横陣を青眼
の構えとすれば、単縦陣は駈け込んで抜き打ちに斬って駈け過ぎる 「歩き抜き打ち」 のようなものであった。 繰り返すようだが、清国艦隊は横陣をとっている。清国艦隊の軍艦の多くはドイツ製で、ドイツの軍艦は主として沿岸防御用に造られていたため、横陣を取らざるを得なかったとも言える。もともと軍艦というものは正面から見ると細く小さいため、横陣ならば敵の射撃による被害をより少なく出来る可能性がある。ただし敵を攻撃するという段になると横陣では自艦の両舷りょうげん
の砲が使いにくく、前方主砲のみが活動するという点で、やや単縦陣より不利であろう。 逆に、単縦陣は防御には欠陥がある。敵の主砲の真正面に自艦の長大な脇腹を露呈せねばならない。そのかわり、片舷の砲がことごとく働くという大利点がある。 海戦には、いずれがいいのか、横陣か、縦陣かという議論は、この時期、世界の海軍界で論議され、結論がなかった。結局、陣形に完全なものはなく、そのいずれを取るかはその民族の民族的性格にかかっていると言っていいであろう。 「日本艦隊は、敵の全面をナナメに横切ってその右翼に出ようとした。伊東が取ったこの単縦陣は、おのれと同力量の艦隊に対しては最も危険な戦法であった」 と、英国のG・フィブス・ホールンビー元帥は言う。 「しかし伊東は清国艦隊の陣形をはるかに望み、これをクサビ型
(V型) と判断し、クサビ型なら艦隊運動が大いに不自由であろうと見てこの単縦陣を取り、快速を利用して敵を混乱におとしいれようとした。この戦法はトラファルガーの海戦においてネルソンが用いたが、理論的には完全でないにしても、全勝を期する場合には最もよい」 この当時、米国の海軍少佐マクギフィンが清国に雇われ、この艦隊の参謀のひとりとして鎮遠に乗っていた。戦後、
「センチュリー・マガジン」 に寄稿したところでは、 「わが方 (清国) 十二隻に対し、日本艦隊十二隻 (西京丸を含む)
は、じつにハッキリした単縦陣でやって来た。その艦隊がまるで一つの生き物のように秩序をたもち、一定の間隔と速力を整えつつやって来る様は賛嘆するほかなかった」 敗者に立ったマクギフィン少佐は、その敗因の一つとして清国政府
(北京総理衙門がもん
) が丁汝昌に出したふしぎな指令をあげている。 「どういう理由があっても、山東灯台から鴨緑江河口に劃かく
する線上から出てはいけない」 というののであった。このため清国艦隊はみずから進んで日本艦隊を探し出すという積極戦法を取れなかったという。 「それから見れば伊東にはこういう拘束こうそく
はない。それにしてもその単縦陣は、勇ましくはあっても冒険過ぎるであろう。日本はただ一セットしか決戦用の艦隊がないというのに、なぜこういう冒険を選んだか。日本人種の勇敢さは常識をもっては考えられない」 |