〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-W』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/02 (火) 

日 清 戦 争 (三十四)

この時期、清国艦隊は七ノットの速力で日本艦隊に接近している。
「丁汝昌提督にとって不幸であったのは、事態が突如やって来たことであった。彼は自分の艦隊に対し必要な命令を下すいとまがなかった」
と、ロシア武官はこれを批評しているが、しかしどうであろう。実際は、命令は次々に下されていた。丁汝昌の司令長官室には、ドイツ人ネッケン以下数人の傭い参謀がいた。彼らは欧米人であり、みな自発的に志願してきた冒険家だけに、この事態に敏感に反応し、丁に下すべき命令を次々に教えた。
もともと丁汝昌の艦隊顧問はラングというイギリス人の大佐で、これが数年にわたってこの艦隊を訓練し、海戦の場合におけるその戦闘隊形の型なども決めておいた。ところがラング大佐は清国人の怠惰と命令に対する慢性的なサボタージュに愛想をつかし、この戦いが始まる前に退職して中国を去ってしまっていた。
が、戦闘隊形や艦隊運動その他の型はすべてラングの遺法であった。
その隊形は、全艦が横陣になり、一文字でなく凹凸おうとつ してノコギリ歯のような形をなすものであった。
しかも、同型の姉妹艦がカップルになりあう。たとえば定遠と鎮遠、超勇と揚威といったぐあいに姉妹同士が一つ単位に組み、進退をともにする。
「これは紙上の陣形としては完全と称すべきものである」
と、イギリス海軍のフリーマンター中将は批評している。ただし、と同中将は言う、
「よほど練達の指揮官と、最高度に訓練された艦隊でなければ採用すべき陣形ではない」
清国艦隊は、その逆であった。
訓練が不十分な上に、もっとも致命的なことは、信号及び号令のコトバが清国語に翻訳されておらず、英語が用いられていたことであった。外国語をもって将士を動かすということは、とくに戦闘中は意思疎通いしそつう が困難で、不可能に近いといっていい。
これだけの艦隊を持ちながら、海軍用語すら翻訳していなかったというのは、清国政府のおそるべき怠慢というべきであろ。
とにかくこの単横陣 (ノコギリ歯型の) が、丁汝昌の命令一下、機敏に動いて行くということは訓練の精度から見ても、期待できなかった。やむなく、開戦前に、丁は艦隊に指示し、
「信号は使わない」
と、そういう異様な内容を下達かたつ せざるを得なかった。英語信号を使えばかえって混乱を招くからである。さらに指示し、
「戦闘中は旗艦の運動をよく見よ」
「同型艦はたがいに協同せよ」
「つねに艦首を敵に向けよ」
と命じた。いわば、開戦前において統一指揮をやめ、各艦の自発的行動に任せてしまったと言っていい。
陣形が、出来た。定遠・鎮遠という主力艦が中央にすわった。隊形は翼を広げたように横へ広がり、弱艦がはしに行った。
ところがはし・・ へ行くはずの揚威と超勇、済遠と広甲が遅速なためうまく位置につけず、このため全体のかたちは日本艦隊から望めばV型のように見えた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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