〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-W』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/02 (火) 

日 清 戦 争 (三十二)

先ず索敵である。
その索敵は、艦隊そのものをもってすることとし、敵 “発見” の場合ただちに戦わねばならないため、伊東司令長官は、決戦態勢をとった。
伊東は、艦隊に高速の運動性を持たせるため、足手まといになる弱艦を切り捨てた。
このため、秋山真之が乗っている筑紫は決戦兵力という選にもれた。
九月十六日北朝鮮の西岸にあるチョッペキみさき を出撃した決戦艦隊は、十隻である。
先陣は、吉野、高千穂、秋津州、浪速の四隻、本隊は松島、千代田、厳島、橋立、比叡、扶桑の六隻である。
これに偵察と連絡のために砲艦 (赤城) が一隻。さらに例によって樺山資紀が乗りまわしている西京丸がついて行く。
索敵の予定期間は、一週間と決められた。その海域は、渤海ぼっかい直隷ちょくれい 沿岸であり、捜し求めるあな・・ は敵がひそんでいそうな港で、大連、旅順りょじゅん大沽タークー 、山海関、営口、威海衛などである。それを艦隊は巡歴して行く予定であり、その精密な日程表まで作成された。
艦隊がチョッペキ岬を出たのは、この十六日夕刻五時である。この日の目標は、鴨緑江河口の南西八十海里に浮かぶ海洋島であった。
この夕、雨模様で、南西の風がやや強く、小雨をともない、ときに水平線上に 「閃々せんせん 電光ヲ見ル」 とある。
この海域には各国の観戦軍艦が無遠慮に出没し、艦隊はときにそれを敵と見誤りがちで、この点索敵に無用の神経が浪費された。付近を遊弋している外国軍艦のうち最も多いのは英国軍艦で、数隻にのぼり、米国、フランス、ドイツ、ロシアなどが、一隻ないし二隻を派遣していた。
このころ、清国北洋艦隊もまた南下しようとしていたらしい。司令長官丁汝昌は、その麾下の将兵の質はともかく彼一個についてはその勇気と智謀はあるいは日本の伊藤裕亨をしのいでいたであろう。
丁汝昌は伊藤と同じように作戦の初動においてはその艦隊を陸兵輸送と護送につかっていた。
しかしこの時期、なぜ根拠地を離れて洋上に出つつあったのか、その意図はよくわからない。
両艦隊とも、たがいに相手の所在を確かめるのに苦心したが、かといって索敵艦を使わなかった。使えばかえって艦隊主力の所在を敵に知らしめるため不利であるとしたのは伊藤裕亨の理由であったが、丁汝昌も同様の理由であったであろう。
清国艦隊の内実に明るいロシア海軍のウィトゲフト大佐は、この時期の丁汝昌の思惑について次のように書いている。
「丁提督は、自分の艦隊の戦力が日本のそれより優勢であることを考え、巡洋艦よりなる日本の機動艦隊はあえて清国艦隊を攻撃してくるまいと思った。たとえ日本人が攻撃してきても、清国の堅艦群の中を突破するような無謀は企てまいと思った」

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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