英国海軍のイングルスという大佐は、数年間、日本の海軍顧問であり、開戦前に退職し帰国した。同大佐が、帰国後、 「日本の海軍は、まったくヨーロッパの水準に達した」 と言った。これを聞いた人々は信じなかったという。 同大佐の言葉を信じたのは、この戦役中極東視察をした英国海軍の中将フリーマンターであった。同中将は言う。 「日清両艦隊とも、最新の兵器を装備した良装艦隊であり、その兵力にも大差はない。であるのに格段の差で日本が強かったのは、軍人の指揮の差が大きすぎたからであろう。清国人はゆらい平和を愛し、守旧を愛しすぎた。さらに民族的伝統として軍役に従事する者をいやしむ風があり、清国政府の大官でさえ、軍人をもって賎業とし、戦争は大人君子のなすべき事業にあらずとして、軍人などは粗暴きょうへき凶癖の者を雇っておけばすむとしている。ある英人が戦艦定遠を訪問したところ、艦長室の入り口で番兵がファン・タン
(ばくち) をしているのを見た。すべてがこのようであり、おどろくべき軍規の頽廃
であるが、国家そのものがそういう廃頽を容認しているふうである」 同中将は、日本海軍についてもほめてばかりはおらず、国際法上の問題を引き起こした豊島沖における英国船高陞号の撃沈につき、こう言っている。 浪速艦長東郷平八郎は、この英国商船が清国の陸軍部隊を乗せていることを確認し、その理由をもってこれを撃沈した。撃沈にいたるまでの手続きは、なるほど国際法に明るい東郷らしくきわめて慎重で、結果として合法的であった。 「しかしながら東郷は、波間に浮き沈みする千余の清国兵を、一兵だに救わなかった」 と、同中将は言う。 東郷はこの論告に対し、あるいは抗弁するかも知れない。浪速は救助のためのボートを二隻降ろした。と、しかしこのボートは漂流中の清国兵を救わなかった。海面を行き来し、英人船長ほか数人の英国人を見つけ、これを救い上げただけであった。英人のみを救ったのは、国際世論の中で優等生になろうとする日本陸海軍の意識の表れであるといっていい。 さらに東郷は言うであろう。高陞号は浪速の水雷と砲弾を受けてから沈没まで三十分を要し、この間かん
、沈みゆく高陞号の甲板から清国兵が小銃をもってはげしく抵抗し、海上救助が思うように行かなかった、と、それはあったかも知れないが、高陞号が午後一時四十六分に沈没し、その後浪速は午後八時ごろまでこの付近の水域にあり、これだけの豊富な時間内に一人の敵兵も救わなかったというのは、その意志がなかったと見る他ない。 同中将は言う。 「日本人は元来が温厚で親切である。それでもなおこのようであるのは、戦時の人道についての知識がなかったからに違いない。そこへゆくと英国海軍の伝統はまったくちがっている。ネルソンがトラファルガーにおいて
“戦勝後ノ仁愛ハ英国艦隊ノ特色タルベシ” といって以来、無力化した敵兵を救助するのは当然のことになっている」 |