〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-W』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/12/01 (月) 

日 清 戦 争 (二十九)

二つの艦隊が游弋するこの海域ほど、この当時、世界の専門家から注目されつづけた海はないであろう。
ここところ、大規模な海戦は絶えてなかった。主力艦隊の決戦は、二十八年前、わが国の慶応年間にイタリアとオーストリアとの間に交わされたリッサ海戦以来のことであり、その後、世界に海軍が近代化され、軍艦その他の兵器も一変した。その近代海戦というものがどういうものであるかといういわば専門家にとっての 「実検」 が極東で行われようとしている。
「おそらく清国艦隊が勝つであろう」
と、列強海軍のほとんどの専門化が予想した。その理由は、清国艦隊には定遠、鎮遠という本格的な戦艦があるのに対し、日本艦隊は巡洋艦が主力であり、大艦巨砲が勝利の決め手となるという絶対原則から見れば当然ながらそう予想されていい。
ただ日本艦隊についての有利な材料は、その快速であった。それも主力艦群の速力がほぼ揃っており、この運動性を統一艦隊としてたくみに運用すればあるいは際どいながらも勝利をおさめられるかもしれない。
ところが、日本の全面的勝利を予想した専門家がいる。米国海軍の少将ジョージ・E・ベルナップであった。
ベルナップは、日本通であった。安政四 (1857) 年にはじめて日本へ来航し、その慶応三 (1867) 年から一年間滞日し、さらに開花後の日本を、明治二十二年の段階と同二十五年の段階とで見た。彼は黄海開戦後、 「ニューヨーク・サン」 に寄稿している。
「日本人の素質を知るには過去千年の間の日本歴史を知る必要があろう。それによって、この民族における献身的武勇と戦略的才能、それに英雄的行動がいかに優れているかを知ることが出来る。その歴史は英国史もしくはヨーロッパの各国史といささかの遜色そんしょく もない」
彼は、源義経、加藤清正、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の例を引き、彼らは西洋史におけるブラック太子、クロムウェル、ウェリントンと質においてかわりがないとし、さらに日本戦史におけるたとえばだんうら の海戦はトラファルガーとひと しく重要であるとし、その決死熱闘の状についてはその上に出るとし、関ヶ原の戦いはウォーターローの戦いよりも歴史的価値は大きい、とし、日本人は英国人とその質においておとらないとする。さらにベルナップは維新後の日本陸海軍の訓練の精度が英国陸海軍にかわらぬことを説き、ときに海軍については、
「自分はかつて日本の海域においてたまたま英国海軍の司令官が十隻の艦隊を指揮しているのを見た。おなじころ日本の司令官が二十二隻の艦隊を運動させているのを見たが、その見事さに甲乙が無く、もし英国艦隊と日本艦隊とが戦えばその勝利はどちらに帰するか予測は出来ない」
と言い、まして訓練精度の低い清国艦隊が相手である以上、その結果がどういうものであるかが容易にわかる、と説く。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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