〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-W』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/11/30 (日) 

日 清 戦 争 (二十八)

この連合艦隊は、
豊島沖
黄海こうかい
威海衛いかいえい
という三つの水域で清国艦隊と海戦し、それぞれの水域で世界の海戦史上記録的な戦勝を上げるに到るのだが、しかし振り返って考えてみれば必ずしも模範的とは言い難い。
── まったくしろうとだ。
と、秋山真之は巡洋艦乗組みの一少尉の身ながら、伊藤裕亨の戦術を批判し、この戦いの最中、高千穂にいる同期の少尉たちに書き送って、
── われわれは将来、こういう愚をくり返してはならない。
と言った。
真之が批判した段階では清国北洋艦隊は健在であり、その所在がわからない。日本艦隊はこれを求めて一戦すべく索敵さくてき をかさねている。一方、陸軍を護送する役目をつとめている。
「清国艦隊もまたわれわれを求めている。いつかれが出現するかわからないのに、わが方の態勢ときたらばらばらであった」
たとえば真之の乗っている筑紫は牙山港に入って陸上部隊を掩護している。ところが陸上では陸軍の奮戦で牙山が陥落し、清国兵は大同江の北へ逃げ、平壌には一兵の敵も見当たらないというのになおも筑紫は牙山に釘付けされ、別名を受けていない。
またわが方のスター艦ともいうべき巡洋艦高千穂は漢口かんこう 付近の警戒を命ぜられ孤立していたし、主力はそれよりもはるか南方の長直路ちょうちょくろ の根拠地にいる。
海上勢力がこのように離隔し、それぞれ分立し、しかも連絡が断絶していてはどうにもならず、もしここに敵主力が現れれば一艦または数艦ではとうてい歯がたたず、各個に撃破され、結局は敗れ去ってしまう。
海戦の要務は (海戦に限らず陸戦でもそうだが) 勢力を集中し、より大きな打撃力を構成して敵にあたらねばならない。兵力の分離は海上戦略上もっともいましむべきところである。
「たとえ筑紫程度の小艦でもこれを失うようなことがあっては彼我ひが のバランスを失うのみならず、全軍の士気を沮喪そそう せしめ、ついに国家の大計をあやまるにいたるだろう。ときあたかも二百十日の荒天も近いところである。われに天敵が迫っている。荒天によってわが艦隊に修理を必要とする艦が出来るようでは、いよいよ彼我の均衡きんこう を失う。わが指揮官はいかなる目算があってこのような愚を演じているのか。あるいは目算がなく、なすべきことをなさずにいるのか」
もしこの批判を伊藤裕亨が知ればどうであったろう。
しかし伊東もまたこの作戦の初動期における戦略方針についてはあとで多少の後悔をし、それでも勝つにいたったことを、戦後、
天佑てんゆう
であるとしている。
しかしながら真之は後日、ほめるべきところはほめた。伊藤司令長官がとった戦隊区分、戦闘隊形、翼撃旋回の戦法など、まことに時宜じぎ に適して文句のつけようがなく、近代戦術の好判例である、と言った。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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