北京における列強の外交団のなかまに、むろん日本の公使は入っていない。 日本の公使など、清国政府から見ても、列強の外交団から見ても、巨獣の中に虫ケラが混じっている程度の存在であったであろう。 「ここまで日本の位置が低いとは、驚いたな」 と、新任早々のころ、小村寿太郎が言ったが、古い公使館員はそれを訂正した。列ひくい・・・
というもんじゃありませんよ、と言う。位置がないというに等しい、と言うのである。 「位置がない。・・・・」 「金もございませんしね」 と言う。公使が使える交際費がないということである。だから清国政府の大官や列強の公使たちから招待されても、あとでお返しの宴を開くための経費がないということであった。 「もっとも、どこからも招待はございませんがね」 と、古参館員が言った。 小村が着任した季節は冬である。いくら日本の公使館といってもストーヴは入っているが、かといってすべての部屋がそうではなく、石炭を買う金が乏しいため火鉢だけですませている部屋もあり、そういう部屋の館員たちは、大火鉢のほかにまたぐらにも小火鉢をかかえている。 「とにかく、清国はわれわれを外交団とは思ってもいませんや」 と、古参館員は言った。 「なんだと思っている?」 「子供が外交団の真似をしているとでも思っているのでしょうな」 「ひとつ、戦争でもぶっぱじめなきゃいかんな」 と、小村が言った。朝鮮半島ではすでに日清間の空気が険悪になっており、小村の言う戦争と言う言葉は唐突とうとつ
ではなかった。とくに小村はつねに主戦論であり、国家に勝算がある限り、戦争の気構えをすることによって国力の伸張と国際社会における地位の向上をはかるという思想の持ち主でもあり、この点、列強の外交思想と少しも変わらない。 「清国にかぶりついてへこましてやりゃ、連中の尊大さは一朝でなおるさ」 小村は、ねずみ公使と言われた。 このあだなは、列強外交団の主役ともいうべき英国公使N・R・オコンナーがつけたらしい。 まったくねずみ公使ラット・ミニスターであった。小さな顔に大きなブラシひげ・・
をはやし、とびきり低い背丈の体を、くたびれたフロック・コートで包んで、何か事があるとねずみのような敏捷びんしょう
さで飛びまわる。 ── おかしな奴が来た。 と、列強の連中も思っていたし、頭から軽視していた。 身分が代理公使であるということも、列強が不審いぶかし
んだところだった。ある意味では世界で最も重要な都に、日本は代理公使しか駐在させていないというのがふしぎだったらしい。 |