小村寿太郎は北京の任地に赴くまで、中国のことは何一つ知らない。 着任以来、懸命に研究した。 この男が見た当時の北京は、彼が在任一年たらずで翌二十七年、日清開戦のために東京に引き揚げたとき、ひとに速記させてこう語っている。 「小村寿太郎の清国観察」
と題すべきもので、当時の北京の様子が視覚的に浮かんで来る。 「北京の人工は二百万というが、実際は八十万余にすぎない。戸数は十数万。みな平屋である。道路はわが東京の上野御成道
ほどの広さのものが二、三ある程度で、それも道路の両側に露店が並び、はなはだ窮屈である。その道路には人道と馬車道とがある。露店はその主がそこに泊り込むから一戸の家とかわらない。道路は古来のままの状態で修繕ということをしないからデコボコであり歩行ははなはだ困難である」 「その往来の不潔さは、聞きしに違たが
わぬもので、みな道路上に大小便をし、臭気紛々ふんぷん
。しかし彼らは習い性となっているから平気である。小便はいたるところ川をなし、また池をなす。ために歩行、注意を怠ればたちまちこれに踏み込む」 「さいわい大便は」 と、公使は観察する。 「長くそこに止とど
まらず。その大便は、豚、犬、人の三つのものが互いに争ってこれを片づけてしまう。人は犬を逐お
い、犬は豚を逐い、互いにおのおのの獲物えもの
の多からんことを競争す。犬は狡猾こうかつ
である。子供が路上で大便するとき、そばでそれを待ち、終わればたちまち食ってしまう。人は犬を逐う。人はちょうどわが東京の紙クズ拾いのように器を背負い、犬を逐って大便をすくい取り、市外へ持ち行き、肥料として売る」 「このように不潔な上に、夏は雨がつゆ・・
のごとく降り続け、止めば風あり。週に一度は砂漠よりの吹きまわしがやって来て天日を遮さえぎ
り、天地晦冥かいめい となる。ためにむし暑く、その暑さよりも堪え難きは白色の微虫である。この微虫はかの南京虫とはちがい、ほとんど目に触れ難いほどの飛虫であり、これに刺されればときに医者の治療を要するほどになる。自分もこれに侵され、今も黒アザのごとし」 「水は悪し。飲むに堪えるものなし」 「北京政府の軍兵十五万というも、実数は十二、三万である。その不規律は言語ごんご
道断で、たとえばわが公使館の料理人もこの兵卒であるが、彼の演習には代人を出してごまかしており、実際に兵卒らしい者は二万の数にも満たない。ただ李鴻章の直轄ちょっかつ
にはさすがに見るべき軍隊があるが、これも不規律でおそるるに足らない」 「渤海ぼっかい
の守備おそるるに足らず。わずかの危険をおかせばわけなく上陸、北京を衝つ
きうる。ただし大沽ターク の要塞は堅固で上陸おぼつかなし」 「わが軍は、碁ご
でいえば、定石じょうせき (近代戦術)
を学んだばかりで、あくまでも定石通りにやりたがろうとするであろうが、習いたての定石はかえって不馴れで不覚を取るおそれがある。むしろ従来の手覚えのやりかたで大胆にやるほうが、清軍に対してはかえってうまくやれるであろう」 |