〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-W』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/11/24 (月) 

日 清 戦 争 (十四)

当時、外務大臣は陸奥むつ 宗光むねみつ であった、外務省の翻訳官にすぎなかった小村は、この陸奥によって外交舞台に引き出された。
両人は、もともと縁が薄かった。ある時、陸奥宗光が司法大臣の芳川顕正よしかわあきまさとともに新橋駅のプラットホームを歩いていると、小村は高声で笑い、
「あれを見ろ、ヘチマ (陸奥) とカボチャ (芳川) が歩いて行く。いつ はほそく一はまるし。しかしながら両方ともなかみがカラッポということで共通している」
と、言い、居並ぶ同僚にまゆをひそめさせた。
ある日、外相官邸で宴会があった。英国へ総領事として赴任ふにん する同僚を送別するための宴で、食後、たまたま英国の綿製品の話が出、話題が紡績論にまで及んだ。
ところがこの席上、小村が精緻せいち そのものの英国綿業論を論じ始めたのである。年度別の原綿げんめん の産額、輸出入の消長、さらに各種綿製品の優劣まで論ずると、同僚たちは驚嘆した。小村にすれば五年間のひましごとのあいまに調べたことだが、同僚たちにとっては翻訳官がこれだけの事を知っているとは思わなかったのである。当時、翻訳局長などは外交官とは思われていなかった。陸奥も驚き、
「君はどうしてそんな小さな事まで知っている」
と聞くと、小村は、
「小さな事だけではありませんよ。天下国家の大事についてもいささか抱負を持っております」
と言うなり、この男の癖で、はじけるような高笑いをあげた。
陸奥は、異動人事をするにあたってそのことを覚えていたのであろう。
しかし空席が北京ぺきん にしかなかった。当時外務省のふうとしてアジアの任地を卑しみ、欧米の任地を貴んだ。まして小村は米国に留学した男であり、その英語と英文は米国人でさえ感嘆したほどの力があったから、北京には不向きであった。
「君をワシントンにやりたい。しかし今空席がない。当座、北京に行く気はないかね」
と、陸奥は、小村を呼んで言った。小村は内心、おどりあがるほど喜んだ。任地がどこであろうと、外交の第一線に出られる機会が到来したのである。
「むしろ、北京のほうこそ望むところです」
と言うと、陸奥は小村の遠慮かと思い、
「しばらくの辛抱だ。何年か後にはワシントンに君を置くことを考慮する」
「ご心配はありがたいですが」
と、小村は言った。
「そういう将来においてもあなたが外務大臣をつづけていらっしゃるという保証はございますまい」
カミソリと言われた陸奥は、どういう場合でも鋭利きわまりない論理を用意していたが、この時ばかりは沈黙せざるを得なかった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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