「明治日本」
というのは、考えてみれば漫画として理解した方が早い。 少なくとも、列強はそう見た。ほんの二十余年前まで腰に大小をはさみ、東海道を二本のすねで歩き、世界じゅうどの国にもないまげ
と独特の民族衣装を身につけていたこの国民が、今はまがりなりにも、西洋式の国会を持ち、法律を持ち、ドイツ式の陸軍とイギリス式の海軍を持っている。 「猿まね」 と、西洋人は笑った。 模倣を猿というならば、相互模倣によって発達したヨーロッパ各国民こそ老舗しにせ
の古い猿であるに違いなかったが、しかし、猿仲間でも新店の猿は笑い者になるのであろう。 自分こそ猿でなく、世界の中華であると思っている清国は清国で、日本人の欧化を軽蔑した。もっとも日本人を軽蔑したのは、大清帝国の文明を信じ、その属那でありつづけようとする朝鮮であった。朝鮮は日本に対し
「倭人わじん なるものは唾棄だき
すべきことにおのれの風俗を捨てた」 というそれだけの理由で日本を嫌悪し、日本の使節を追い帰したことさえある明治初年の征韓論は、そういう双方の子供じみた感情問題が、口火くちび
になった。 いずれにしても、維新後国をあげて欧化してしまった日本と日本人は、先進国家から見れば漫画に見え、アジアの隣国から見れば笑止しょうし
な、小面こづら 憎い存在としか見えず、どちらの側からも愛情や好意は持たれなかった。 しかし、当の日本と日本人だけは、大まじめであった。産業技術ろ軍事技術は、西洋よりも四百年遅れていた。それを一挙にまねることによって、できれば一挙に身につけ、それによって西洋同様の富国強兵のほまれを得たいと思った。いや、ほまれ・・・
というようなゆとりのある心情でなく、西洋を真似て西洋の力を身につけねば、中国同様の亡国寸前の状態になると思っていた。日本のこのおのれの過去をかなぐり捨てたすさまじいばかりの西洋化には、日本帝国の存亡が賭けられていた。 西洋が興隆したそのエネルギー源は何か、という点では、日本の国権論者はそれが帝国主義と植民地にあると見た。民権論者も、
「自由と民権にある」 とは言いつつも多くの者が帝国主義をもあわせて認めた。帝国主義と自由と民権は渾然こんぜん
として西洋諸国の生命の源泉であると見、当然ながらそれをまねようとした。西洋の帝国主義はすでに年季を経へ
、劫こう を経、複雑で老獪ろうかい
になり、かつては強盗であった者が商人の姿をとり、ときに変幻してヒューマニズムの姿をさえ仮装するまでに熟していたが、日本のそれは開業早々だけにひどくなま・・
で、ぎこちなく、欲望がむきだしで、結果として醜悪な面がある。ヨーロッパ列強では、帝国主義の後進国であるドイツが多分にそれであった。 |