〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-W』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(二)
 

2014/11/20 (木) 

日 清 戦 争 (十)

ヨーロッパの興隆というのは白人の人種的優越にあるというよりも、一ツ大陸によく似た能力水準の民族がひしめき、それぞれ国家をつくり、相互に影響しあい、模倣しあい、戦いあい、混血しあい、それらのひしめき・・・・ の結果、地球上の他の域に住む人種をついに力のうえで圧倒してしまったということであろう。
フランス人が滑車かっしゃ を考案すればスペイン人がすぐそれを模倣するし、スパイン人が風浪に強い船体を発明すると、それがすぐフランス人の船台でも作られ、イギリスで発生した産業革命はやがてはヨーロッパの能動的な他の社会がそれを受け入れて行く。
技術だけでなく、学問や芸術、宗教もかわらない。宗教といえば、各国共通の組織であるカトリックが各国のそういう学芸や技術をたがいに伝播でんぱ しあう役割をはたしてきた。
その間、日本は極東で孤立している。
ヨーロッパが真に大きな力を持ちはじめたのは十五世紀ごろからであり、日本にあっては戦国時代に相当している。日本の戦国時代はこの狭い島国の中で互いに攻伐しあい、戦乱の絶え間が無かったが、ヨーロッパも同様であった。ただ国家単位にそれが行われたところに、規模の違いがある。
十五世紀のヨーロッパ諸国はみずからの力を列強の間だけでためしあうということ以外に、そのはけ口を、ヨーロッパ以外の非キリスト教世界に求めるようになった。
日本人が応仁ノ乱を戦い、また足利義政あしかがよしまさ が銀閣寺を造っている時期には喜望峰きぼうほう が発見され、つづいてアメリカ大陸が発見された。織田信長が天下平定に活躍している時には、英国の女王公認の海賊フランシス・ドレークは五隻の船で世界周航を試みた。
やがて日本が徳川家というただ一軒の家の権力を永久に守るために対外関係を切り捨て、鎖国した頃、ヨーロッパにあっては三十年戦争がつづいている。以後、日本にには奇蹟の様な平和がつづいたが、しかしヨーロッパはそのまま戦争の歴史であり、さらには富国の増大のため植民地獲得競争の歴史があった。このかん 、ヨーロッパではあらゆる方面の 「人智」 がいよいよ発達した。たとえば国家が君主の持物であるという性格が変質し、君主権が後退し、国民の国家というものにかわってゆく。
とはいえあいかわらずの帝国主義はつづくが、そういう国家的利己主義も、国際法的にも思想的にも多くの制約を受けるようになり、いわばおとな・・・ の利己心というところまで老熟した時期、 「明治日本」 がこの仲間に入って来るのである。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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