ドイツ式の馬術というのはどういうものかというのを、好古はフランス軍人から聞いてほぼ見当がついている。 「ドイツ人は、人間を木か鉄だと思っている」 と、フランスの軍人たちは悪口を言うが、ためしに好古は士官学校の図書館でドイツ陸軍の
「馬術教範」 のフランス語訳を読んでみて、なるほどと思った。 (やはりドイツ人というのは世界の奇人種かもしれない) と思った。彼らドイツ人の能力の高さは好古が隣国のフランスに滞在しているだけにかえってよく分かっている。 物事を論理的に追究して行く能力の高さとその構成力の堅牢
さはもはやゲルマン人の国民性とでもいうべきもので、その能力が科学に向かうとき、おそるべき効果を発揮する。 が、長所は常に短所の裏で、この論理好きは形式好きにあなり、それが軍隊にあてはめられるときに弊害へいがい
も多い。 どの国の軍隊でも、軍隊は規律をもって生命としているが、ドイツ軍隊にあったはそれが極端であり、規律美のためには他の重要なことでも当然のように犠牲にする。 馬術がそうである。 フランスの馬術は、日本固有の大坪おおつぼ
流などと同様、旗手の姿勢や反動の殺そ
ぎ方は、馬の運動のリズムに沿そ
おうとしている。きわめて柔軟であることを本則としているが、ドイツ式は硬直美を愛する。 たとえば、乗馬姿勢ひとつにしてもドイツ式は容儀の慄然りつぜん
たる姿を主としているために、馬に騎の
ったとき、ひざ・・ をぐうんとうしろへひかせようとする。ひざから下のしはひざ・・
よりもさらにうしろにひかせようとする。こういう姿勢をとると、なるほど全体の騎手の姿は、弓なり・・
にそり、見た目には威風があり、いかにも凛々りり
しい。 が、人間の姿勢としては不自然であるため騎手は長時間の騎乗に堪えられなくなり、疲労がはなはだいい。これに対してフランス式は騎手の長時間騎乗の疲労を出来るだけ少なくしようとしており、ひざやあしは後方にひかせるということをせず、これらは自然に垂れさせ、むしろやや前方に位置させる。 これは一例に過ぎない。ほかにドイツ式の
「馬術教範」 には同種類の無理が至る所にあり、このため、 ── ドイツ騎兵の鈍重さ。 というのは、フランスだけでなくヨーロッパの馬術界の定評になっていた。あきらかにドイツ人の規律と形式を好みすぎる性癖からきた弊害だが、ドイツ人たちはこの不便さに気づきながらもなおかつこの教範を改正しようとしないのは、個人の性癖がなおしにくいのと同様、民族の性癖というものも、どうにもならぬものらしい。 好古は、日本馬術までがドイツ式になることに反対しようと決意した。 |