好古は、ヨーロッパに来てから、意外なことをいくつも知った。 ナポレオン一世は騎兵の運用について天才的な戦史をいくつも残した人物だが、そのくせ当人は乗馬が下手なのか騾馬
に乗っていたという。 好古はこの話を、フランスの田舎の騎兵連隊を見学に行った時、話好きの古参少佐から聞かせれた。 「騾馬」 好古は、妙な気がした。 騾馬というのは、牝馬めすうま
と牡驢馬おすろば とのあいのこである。一代かぎりのもので、騾馬自身には生殖能力がない。その特性は力が強く、耐久性に富み、しかも小食で粗食に耐えるというものであった。体は片親の驢馬に似てしまう場合は小さいが、もう一方の片親の馬に似る場合は馬より大きくなる事が多い。 中国人は昔からこの騾馬を労役用に使うことを好んだということは好古も知っているが、日本にはいない。それがヨーロッパに居るということを聞いて驚いた。 「昔から居るよ」 と、その古参少佐は言った。ナポレオンの頃でも砲兵隊で大砲を曳ひ
く馬として大量に使っていたと言う。 「ナポレオンは、砲兵の出身だからね」 と、その古参少佐は言う。だから、騾馬の方が乗りやすく親しみやすかったのだろうと馬鹿にしたような顔で言った。 騾馬は、おとなしい。しかも悍威かんい
の気象がまるでない。騎兵の馬は悍ぶってたけだけしい気象のものを駿馬しゅんめ
とする伝統があるから、騎兵隊ではむろん使っていない。 サンシールの士官学校には、老いぼれた戦史教官がいる。アルコール中毒で指がたえずふるえているため、生徒たちまで馬鹿にしていた。好古はこの老人と親しかった。 「結局、ジンギス汗かん
さ」 と、老教官は言う。中世ヨーロッパの戦術思想を一変させたのは、このアジアからやって来た目のつりあがった侵略者だという。 シンギス汗の軍隊は、そのことごとくが騎兵であった。しかもその騎兵はすでに重騎兵と軽騎兵の二種類があった。重騎兵は、四枚がさねの皮鎧かわよろい
を身につけ、頭上に長槍をかざし、腰に彎月刀わんげつとう
を吊っている。軽騎兵は鎧をつけない。武器は投げ槍と弓である。 軽騎兵がまず敵に接し、その二種類の飛び道具で敵を混乱させた後、重騎兵が突撃する。しかもジンギス汗の戦法が画期的であったことは、騎兵をつねに密集隊形で使用したことであった。
それまでヨーロッパでも戦士は馬に乗っていたが、敵に対してはあくまでも個人単位の格闘用にその乗馬を使った。ときに馬からおりて徒歩戦をしたりした。 これが、ジンギス汗の乗ったまま・・・・・
の密集戦法の前に手もなくくずれてしまった。 「日本人は、モンゴル人に顔が似ているというが」 と、老教官は言った。 「ジンギス汗から何も学ばなかったのかね」 日本は孤島である。ヨーロッパ圏けん
のように相互刺戟による成長に機会にとぼしい、と好古は答えた。 |