老教官は、 ──
士官学校のカルパンティエ よいうあだなもついている。カルパンティエというのは聖ベネディクト会に属した僧で、この時期から二百年ほど前の人物である。博学をもって一世に知られたが、博学という点ではこの老教官もそうであった。これは伝説だが、一八一五年三月一日、フランスに上陸したナポレオンはその朝何を食ったかということを生徒に聞かれたとき、教官は目をつぶってその献立
をあげ、ついにはスープの量まで語ったと言う。むろん、彼の壮年の頃のことだが。 そのころのフランス陸軍省では、過去のフランス陸軍のことで分からない事があると、この文官教授にうかがいを立てた。 が、酒の過飲のせいか、ある年齢から急に生気を失い、今は指をふるわせながら小声で日常の愚痴をあきもせずに語る老婆のような老人になりはてている。 が、酒が入ってある一定の状態になると、にわかに昔の光彩がその頭脳によみがえってくるらしく、好古が終生忘れなかったほどの名言をいくつも吐いた。 「アキヤマ、君の国には名将がいるか」 (さあ) と、好古は首をひねらざるを得ない。ある程度の人物なら日本陸軍にも数人は居そうだが、名将と言われるような者はいない。 「居まい」 と、老教官は断定した。 居るはずがない、という。 教官に言わせれば、人間の才能には幾種類もある。詩人、画家、音楽家、学者などいろいろあるが、天才は得がたくとも、しかしどの時代もそのなかからわずかながらも天才は出ている。 「あらゆる分野を通じてもっとも得がたい才能というのは、司令官の才能だ」 と言う。数百年に一人、やっと出るか出ないかと思われるほど希少なものであり、他の分野の天才と同様、天賦てんぷ
のもので、これだけは教育によってつくれない。 「だから」 と、老教官は言う。 「陸軍大学なども、本当は無意味だ。教育して将軍が出来上がるものではない。ナポレオンは天才であったがゆえにその間かん
のことを心得ており、一兵卒の中から将軍を掘りおこした。この才能ほど天賦のものはない」 ── ところが。 と、老教官は言う。 「国家は常に一定人数の将軍を揃えておかねばならない。そのために一定の教育課程を経た者を将軍にするのだが、むろん戦争の役には立たない。あれは平和な時代の飾り物さ」 ──
私はなにを言おうとしているにかね。 と、老教官はいう。 「そう、騎兵のことだ」 老教官に言わせると、天才的戦略家のみが運用出来るのだ。騎兵の不幸はそこにある、と言う。
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