〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-W』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(一)
 

2014/11/06 (木) 

馬 (二)

陸軍省から好古のもとに届いた訓令は、
「留学中ハ左ノ諸項ヲ研究致スベシ」
という文章である。
諸項というのは、
  軽騎兵ノ戦術
  同    内務
  同    経理上の取調
  同    将校以下教育上ノ要領
というもので、そのため、
「ナルベク仏国 騎兵隊ニ付属スベシ
とある。要するに日本陸軍はこの満三十になったかならずの若い大尉に、騎兵建設についての調べのすべてを依頼したようなものであった。それだけでなく、帰国した後は好古自身がその建設をしなければならない。建設するだけでなく、将来戦いがあればその手作りの騎兵集団を率いて行くのは彼であり、一人ですべての役を引き受けていた。この分野だけでなく他の分野でもすべてそういう調子であり、明治初年から中期にかけての小世帯の日本のおもしろさはこの辺りにあるであろう。
訓令では、
「軽騎兵」
という、ヨーロッパの騎兵にはいろいろの種別があるが、日本陸軍はその実情 (経済的理由がおもだが) からして軽騎兵のみが採用されていた。従って日本でいう 「騎兵」 は軽騎兵のことであった。
好古が現地でなま・・ なヨーロッパ騎兵を見たとき、それは驚くべき多彩さに富んでいた。
たとえばナポレオン一世によって大改革された軍制を維持しているフランス陸軍は、
騎兵については、
    胸甲きょうこう 騎兵 (重騎兵)
    竜騎兵
    軽騎兵
という三種類を持っていた。胸甲騎兵はその名のとおり銀色に輝くよろい・・・ を胸につけ、敵の刀槍とうそう や弾丸から身をまもっている。これが別称重騎兵と呼ばれるように、人馬とも大型の体格が選ばれており、主として白兵はくへい 襲撃にもちい、その主武器は刀と槍であり、ヨーロッパにおける騎兵の栄光はこの種目がになってきた。
竜騎兵は胸甲はつけない。体格は重と軽の中間のもので、武器は剣つきの騎兵銃であった。
軽騎兵は装備も軽く、兵の体重も軽く、諸事かるがると戦場を運動し、司令部捜索そうさく に任ずる。
そうなっている。
日本はこの軽騎兵しか採用する能力がなかったが、しかしそれだけに課題は複雑で、この軽騎兵に他の重騎兵や竜騎兵の機能や戦闘目的をつけ加えようとするものであった。
この計画はヨーロッパから見ればおよそ乱暴な発想であったかも知れなかったが、この種の無理やつぎはぎをやってゆく以外に日本人がヨーロッパ風の近代軍隊の世界に参加してゆくことは出来ない。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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