──どうだ。 と言われても、好古には即答のしようがなく、くび
をかしげ、大きな目を開けて藤野老をながめている。 「不承知か」 「いいえ、不承知というのではありませぬ」 「ホな承知じゃな」 (正直なところは、その中間じゃが) メッケルからドイツ式軍事学を学んでしまった以上、今さらフランスへ留学しても仕方がない。 ──
かえって頭が混乱するのではないか。 と思った。仏式と独」式では、物事が正反対の場合が多い。たとえばドイツ式は 「攻撃は最良の防御である」 という基本思想に立ち、攻撃主義を偏重へんちょう
する余り、ときには戦術の倫理をはずした蛮勇をさえ許容する。おそらくこの思想が生まれたのは、ドイツの戦略地理的な環境と、その帝国主義における後進性に原因しているのであろう。 フランスもまたその攻撃思想においてはなやかな伝統を持っている。とくに騎兵という純粋攻撃用の兵科の運用についてはヨーロッパにおけるもっとも光輝ある伝統を持っているが、しかし、ナポレオン三世の出現前後からフランスの軍事体制に停頓が見られるようになった。とくにその戦術思想は理論面でおそらく世界最高の精緻せいち
さを誇るようになったが、同時に流動性を失い、実際面から遊離するようになった。その結果が、普仏戦争の惨敗になってあらわれた。 普仏戦争後の今、その軍事的自信の喪失が外交面にもあらわれ、プロシャの宰相ビスマルクに思うがままに引きずられており、さらに財政難のため軍事上の整備もあまりすすんでいない。 「いま、フランスに行って何を学ぶか」 という気持が、好古にある。 さらに日本陸軍のすべての体制がドイツ式に転換しようとしており、陸軍の秀才のことごとくがドイツ陸軍に留学しようという情勢下にある。将来、彼らドイツ留学派が日本陸軍をにぎるであろうし、ドイツからの輸入思想で軍政を動かし、作戦を遂行してゆくであろう。 (そのとき、ただ一人のフランス派になってしまえば) どうなるか。 思想上の異邦人扱いを受ける。 当然ながら、他と調和が出来ず、すくなくとも陸軍の作戦面の主流から離れざるを得ないであろう。 (えらいことになったな) と、好古は思わざるを得ない。 今、好古が黙ってさえいればドイツ留学の官命が下るのは必至ひっし
なことであった。陸軍大学校の第一期生であるとともに、数少ない騎兵将校の中でも抜群の秀才とされており、どの面からでも日本陸軍は彼を将来の指導者にすべくドイツにやろうとするだろう。今、休職して私費留学でフランスへ行かねばならぬような理由は、好古にはない。 |