そのころ、彼ら兄弟の父の久敬
は、 「八十九やそく 」 と号していた。先祖にそういう妙な名前を称した人がいたそうで、それにあやかろうとしたらしい。晩年は、天然坊と号したというから、物の剽ひょう
げた味わいがすきであったらしい。もしくは、中年の頃から老荘を読みはじめたためにこういう名前の心境に至っていたのかも知れない。ともかく、名をつけたときは、 「今日から、ヤソクと呼んでくだされや」 親類や知人の間を言ってまわった。 八十九翁は早くから頭がうすくなっていたので、このごろは夏でも大黒頭巾だいこくずきん
のようなものをかぶっている。両眼が大きく背がとびきり高く、夏の夕暮れなど、かたびらを着て歩いている姿は妙に涼しげで、 ── あの涼しげなのも、ヤソクさんのお人徳じゃ。 と町の者から言われていた。 この日、八十九翁が帰って来て、 「今、大街道おおかいどう
の角で、目のとびきり鋭い小男が歩いているのを見たが、ありゃお前そっくりじゃ」 と、老妻のお貞に言った。 「私の目はべつに鋭くはありませんよ」 どう抗議したが、はっとして、 ──
それ。淳じゃありませんか。 と言った。帰省するかもしれぬというしらせが江田島から来ていたのである。八十九翁は大声をあげて笑った。 「そうじゃ、淳じゃ」 「なぜ、声をかけてあげなさらぬ」 お貞は、いそいそ糸車を片づけた。 そこへ真之が帰って来た。あわただしく両親にあいさつすると、制服を脱ぎ、カフスボタンをはずして、やがてそのシャツも脱ぎ、ついに褌まわし
一つになった。 両親は、こごとも言わない。これが秋山家の家風のようなもので、八十九翁がそもそも家にいるときは褌一つであり、万事その調子であり、この点、しつけのやかましい旧藩士の家としてはめずらしい。 「淳、大街道を歩いていたな」 と、八十九翁は言った。 そのとおりであった。真之は町がどう変わっているかに興味があって、繁華街の大街道を通ってみたのである。 「お父さまも歩いておられましたな」 「なんじゃ、わしに姿を見たのか」 八十九翁は、笑いだした。あの時真之の姿を見るやあわててむき・・
を変え、逃げるように家へ帰ったのである。 親も親なら子も子だ、とお貞は思った。なぜ声をかけあわぬ、と双方に言うと、八十九翁が怒り出した。 「おの大街道で、父子対面するような照れくさいことが出来るか。なあ、淳」 真之は、苦笑した。久しぶりの町も秋山家も少しも変わっていない。
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