海
軍 兵 学 校 (三) | この月の最初の土曜日は、雨だった。子規は学校から下宿に戻ると、 ──
正岡常規 殿 と、見おぼえのある筆跡で書かれた封筒が机の上にのっている。 (なんぞな) と思ってひらくと、はたして真之の手紙であり、子規は思わず窓ぎわへ走った。 障子をあけ、そとの雨あかりを入れてひらくと、手紙は数行であった。 「予は都合あり、予備門を退学せり、志を変じ、海軍において身を立てんとす。愧は
ずらくは兄けい との約束を反故ほご
にせしことにして、いまより海上へ去る上はふたたび兄と相会うこtなかるべし。自愛を祈る」 という意味のもので、この年齢の若者らしく感傷にみちている。 子規は、しばらくぼう然とした。やがて、壁の上を見た。そこに鉛筆の線で大きな人のかたちが描かれている。かつて真之が書いたものであった。 真之は徹夜勉強が得意で、寄席などへ行ったあとはかならずこれをやった。あるとき子規も、
「 あし・・ もやる」 と言い、 ──
さあ徹夜の競争じゃ。 と言いながら机を並べたのだが、夜半になると子規の体力が尽き、ついに壁にもたれて眠りこけてしまった。真之はのちの証拠としてその人がた・・
を鉛筆でとった。 (あげな・・・
ことをしおって) と、その壁の線描を見ているうちに、真之の手紙の感傷が乗り移ったのか、涙があふれて始末の困った。なにやらこれで真之とは今生こんじょう
の別れであるような、そんな気がした。 翌日、松山中学の同輩で、やはり東京に出て来ている柳原正之まさゆき
(のちの極堂) がやって来て、 「近ごろ、秋山はどうしたぞな」 と聞いた。子規は海軍へ転じた、と言い、あとはくわしく言わず、かつて真之が語っていた言葉を伝えた。 「明治も二十年に近づいて来ると、学生の数がどんどんふえてくる。将来は大学生の数がちまたにふえ、
あし・・ など鈍才は相手にされんようになる。そう言っておったが、あの男はその言葉通りに行動した」 他の学生にも、子規はそう伝えた。 ──
海軍? と、たれもが妙な顔をした。たれの頭にも海軍についての概念が乏しく、どう想像して論じていいのかよくわからないらしかった。 真之は、この年十二月に入校した。この期に入った者は五十五人であり、真之の入学試験の成績はこの中で十五番であった。ただし、一学年を終わってから首席になり、ずっとそれで通した。
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