海
軍 兵 学 校 (二) | 真之は合格した。 十一月のはじめ、保護者である好古の下宿へ海軍省からその通達が来た。 「淳、これだ」 と、好古は、やって来た真之にその通知書を見せた。披
くと、なるほど合格している。 「よろこべ」 と、好古は言ったが、真之はそれほどうれしいとも思わなかった。大学予備門の在学生なら、合格するのが当たり前というあたまが真之にある。 「おまえ、秋山家の先祖が伊予水軍であることを知っているか」 と、好古は言った。 真之は知らない。もともと秋山家の家父は無頓着な人で、子供たちに古めかしい家系伝説や系図の話などをしたことがなく、子供たちもそんな知識なしに成長した。 伊予は、水軍の国である。 源平の頃はすでに瀬戸内海の制海権を持ち、源氏も平家もそれぞれこの水軍を抱き入れようと腐心ふしん
し、最初平家に属したために平家は瀬戸内海岸に一兵も近づけなかった。のち源氏に属したために制海権は源氏に移り、平家はついに壇だん
ノ浦うら で滅んだ。 戦国期も、伊予水軍は生きている。 さらには江戸末期に至っても、伊予の水夫かこ
たちの実力は天下にひびいており、幕末、幕府の遣米使節をのせて 「咸臨丸かんりんまる
」 が太平洋を渡るとき、幕府はその水夫を伊予から徴募したほどであった。 秋山氏は、伊予の豪族河野氏の出で、戦国期から江戸初期まで讃岐や伊賀を転々とし、やがてこの兄弟から七代前の秋山久信という者が伊予松山に戻って来て久松家につかえた。 「とにかく伊予人の遠祖はみな瀬戸内海に舟をつらねて漕ぎまわった連中ばかりだ。お前がその伊予人の中から出てはじめて日本海軍の士官になる」 好古は、腕をあげ、横なぐりに鼻をこすって洟みずばな
をすてた。目がうるんでいる。が、すぐ声をあげて笑い出し、 「海軍のめしはうまいぞ」 と言った。これはすでに定評があった、軍艦の食事は早くから洋食が主体になっている。 真之は、父に手紙を書いた。 その後数日、海軍省に出頭したり、築地の兵学校に行ったりして所定の手続きをした。 その手続きは世間馴れぬ書生にとってはずいぶんわずらわしいものであったが、こういうことには機敏な真之はべつに苦にならなかった。 苦になっていたのは、予備門の友人への手続きである。とくに子規については、 (升さんには、言う言葉がない)
と、真之は心が痛みつづけている。共に文学をしようと誓い合ったのに、いまさら抜けて兵隊になるというのは、このころの書生の気分から言えば裏切りであった。 だから、陳弁ちんべん
も出来ない。 ── いっそ、置手紙を書こう。 と、真之は決意した。顔をあわざず、このまま彼らの世界から身を消してしまおうということであった。 |
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