子規は、よほど運がいいらしい。ためしにと言って受験した大学予備門が、難なく受かってしまったのである。 「あし
は英語がでけんけれ、いけんと思うたのじゃが、よかった」 と、真之のもとに掛けこんで来て言った。真之も、合格していた。 夕刻、門前から拍車の鳴る音が近づいて来た。好古が帰ったのである。 真之はあわてて縁側へ出、正座して丁寧に頭を下げ、いつものようなお帰りなさい、と言った。 「どうじゃった」 好古は、やはり心配だったらしい。 「升のぼる
さん、受かりました」 と真之はまず子規のことを言い、ついで自分も合格した旨を報告した。 「酒を飲もう」 好古は、長靴を脱ぎ捨てるなり言った。祝杯だ、というのだが、真之も子規も飲まないから、結局は好古だけが飲む。 ──
酒はおれの病気だ。 という好古は、他の豪酒家のように他人に酒を強し
いるというようなことはなかった。徳利をひきつけて、冷ひや
のまま飲みはじめた。山賊のようであった。 酔えば、多少言葉数が多くなった。 「秋山の兄さん、この世の中で」 と、子規は聞いた。 「たれが一番偉いとお思いぞな」 「何のために聞くのだ」 好古がは、質問の本意を聞いた。質問の本意も聞かずに弁じたてるというのは
「政治家か学者のくせだ」 と、好古はつねに言う。軍人は違う、と好古は言う。軍人は敵を相手の仕事だから、敵についてその本心、気持、こちらに求めようとしていること、などを明らかにしてから答えるべきことを答える。そういう癖を平素身につけておかねば、いざ戦場に臨んだ時には一般論のとりこ・・・
になったり、独善に落ち入ったりして負けてしまう、と好古は言うのである。 「なんおためというて」 子規は、とまどった。ほんの酒の座の座談のつぎほ・・・
のつもりで聞いたのである。 「ああ、なにげなしのものか」 好古は言った。 「生きている人か」 「その方が、ためになります。生きている人なら、訪ねて会ってもらえるということもありますから」 「あし・・
は会うたことはないが、今の世間では福沢諭吉ゆきち
という人がいちばん偉い」 と、好古は著書をいくつかあげて言ったがこの返事は真之にも子規にも意外であった。 好古は軍人だから軍人の名をあげるかと思ったからである。 好古の福沢好きは、彼が齢をとるにつれていよいよ強くなり、その晩年、自分の子は慶応に入れたし、親類の子も出来るだけ慶応に入れようとした。そのくせ生涯福沢に会ったことがなかった。好古はおそらく、富裕な家に生まれていれば自分自身も福沢の塾に入りたかったのであろう。 |