上京後、一年経った。 ──
どうじゃろう。 と、何ごとにも口火を切る子規は、共立学校の仲間たちに言った。 「大学予備門を受けてみるか」 「無理じゃないか」 と、みな相手にしなかった。せめてもう一年勉強せねばとうてい受からないことはたれにも分かっている。第一、子規がもっともあぶなかった。子規の英語の力は、仲間のたれよりも劣っている。 「どうで場馴
れのためじゃ。落ちてもともとじゃ」 と、子規はすすめてまわった。真之にも言った。 「淳さんは、いけんかな。淳さんは兄あに
さんがこわいけん」 「こわくはない」 と、真之は言った。好古という兄は、彼が持っている二つ三つの信条にさえさからわねば、あとはあっけないほど寛容であった。 大学予備門というのは、一ツ橋にある。入学試験は九月であった。 真之は、兄に相談した。 「合格する自身があるのか」 と、好古が聞いた。好古の信条は、勝てる喧嘩をしろ、ということであった。とうてい勝目のない相手と喧嘩をする時もせめて五分ごぶ
五分ごぶ の引き分けにもってゆく工夫を重ねてからはじめろというもので、 「のっけから運を頼むというのは馬鹿のすることだぞ」 ということであった。 (そんなことは、言われなくても分かっている) と、真之は思った。 ただ彼の頭痛の種は、学資であった。大学予備門から大学へ進んで学士になるには相当な学資が必要であり、それを兄の安い給料に頼ってゆくのは苦痛であったし、第一兄はそれに堪えるだけの給料をもらっていなかった。 「常盤ときわ
会の給費生になりたいと思います」 それをかねて考えていた。旧藩主の給費生になるわけである。 「淳、まちごうとる」 と、好古は大声を出した。真之はびくっとした。兄の信条の二つ三つは心得ていたが、もう一つあることは知らなかった。 「お前はまちごうとるぞ。一個の丈夫が金というものでひとの厄介になれば、そのぶんだけ気が縮んで生涯しわができる」 「しかし殿様のご厄介になるのですから」 「殿様でもなんでもおなじじゃ」 と、好古は言った。 結局、学費の事は未解決のまま試験の日が近づいた。真之は、なやんだ。 (しかたがない。兄にもたれよう) と、ひらきなおった。 とにかく入学試験に合格する事が先決であり、勉強に没頭した。 この間かん
も子規はのんき者で、べつに猛勉強をする様子もなくときどき遊びに来ては太平楽たいへいらく
なことをしゃべって帰った。 |