好古は、 「男子は生涯一事をなせば足る」 と、平素自分に言い聞かせていた。好古の立場で言えば、自分自身を世界一の騎兵将校に仕立て上げることと、日本の騎兵の水準を、生涯かかってせめて世界の第三位ぐらいにこぎつけさせることであった。 この目標のために彼の生活があるといってよく、自然、その生活は単純明快であった。弟の真之に対しても、 「身辺は単純明快がいい」 と教えた。教え方は、子規における陸羯南とちがい、猛烈であった。 雨の日、真之が英語塾に通うために縁を降りると、あいにく下駄のはなお
が切れていた。手拭てぬぐい を裂き、それをなおそうとしていると、好古が背後から、 「なにぐずぐずしとる」 と、どなった、真之はふくれた。 「下駄をなおしとるんです」 「はだし・・・
で行け」 雷のような声であった。真之は下駄をほうり出して駈け出さねばならなかった。 横浜に、兄がいる。 真之のすぐ上で、真之と七つちがいであり、幼少の頃西原家に養子にゆき、西原道一と名乗っていた。実業を志し、早くから横浜に出て貿易商を営んでいたが、日露戦争の前年、事業が日の目を見ぬまま没した。 真之は着京後ほどなく、この 「横浜の兄あに
さん」 と呼んでいる西原道一宅に二度ばかり遊びに行ったが、この横浜の兄あに
さんは真之の風体ふうてい のきたなさに閉口し、 「お前、その姿はなんとかならんか」 と言った。よれよれの着物に、ひも・・
のような帯を結んでいる。道一はせめて帯でもましなら多少は見栄みば
えがするかと思い、 「帯を買うてやる」 と真之を家で待たせておき、とびきり上等の兵児帯へこおび
を買って来てくれた。居間はやり・・・
のちりめん・・・・ 帯であった。 「これでも締めぇ」 そう言われたから真之はよろこんでそれを締めた。東京へもどって家の中でもその姿でいると、好古が見とがめ、 「淳、その腰の妙なものはどうしたぞ」 と聞いた。真之は、 「横浜の兄さんから貰うたんです」 と言うと、好古は大声で、 「歴れき
とした男子は華美を排するのだ。縄なわ
でも巻いておけ」 と言った。縄はひどすぎると真之は思い、結局はもとのひも・・
帯姿にもどった。このちりめんの兵児帯は行李こうり
にしまってついに用いる機会がなかった。 「淳さんは、ひどいなり・・
で歩いているなあ」 と、子規は一度だけ真之に言った。子規は東京ではやりの麦わら・・
帽子をかぶっていた。 |