〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-V』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(一)
 

2014/10/21 (火) 

騎 兵 (一)

騎兵というのは、どういうものか。
「それで困っている」
と、好古は酒のせいか、それとも弟と久しぶりで対面したためか、いつになく多弁になっていた。騎兵がどういうものであるかを、陸軍首脳のなかで理解している者は皆無かいむ といっていい、と好古は言った。
「これほど、日本人に分かりにくいものはない」
とも、好古は言う。
幕末、幕府はフランスを模範とした洋式陸軍をつくったが、騎兵科は設置しなかった。ひとつには騎兵が理解できなかった。
「歩兵は、わかりやすい」
と、好古は言った。歩兵は徒歩で小銃を持ち、集団で進退し、敵に対して小銃弾をあびせ、躍進して肉薄し、あとは銃槍じゅうそう白刃はくじん をもって斬り込む。
砲兵もわかる。大砲をうつ兵種である。
「騎兵とは、騎乗士のことか」
と、幕府の軍事官がフランス人にそう質問したという。騎乗の士といえば、日本の武士組織では士分 (上士) のことである。戦場に騎馬をもってのぞむ。それ以下の身分の者は徒歩兵であり、日本では徒士かち (秋山家の身分だが) と言い、足軽もそれに含めてきた。要するに騎乗の侍は身分が高い。
「騎兵とは上士の集団のことか」
と、日本では最初そう理解していた。よく分からぬまま幕府も大名も騎兵を持たぬまま維新を迎えた。
維新後、版籍奉還までのあいだ諸藩は以前どおり藩単位で軍備を持っていたが、そのとき土佐藩だけが日本中にさきがけて騎兵を持った。わずか二個小隊であった。
ところで明治四年、それまで直属軍隊を持たなかった新政府に対し、薩長土三藩から軍隊を献上した。これによって歩兵九個大隊、砲兵一隊 (砲六門) 、それに土佐藩から献上した右の騎兵二個小隊が日本陸軍の陣容になったが、馬の数でいえば二十頭であった。
「二十頭」
真之さねゆき は、つぶやいた。日本騎兵は馬二十頭からはじまったのである。
「いまは何頭じゃろ」
「千四、五百頭はいるが、それに乗る人間はその三分の一もいない」
しかもその千四、五百頭というのも、すべて日本馬であった。馬格ののとびきり小さなこの日本馬というものは近代戦における騎兵の乗馬たりえないから厳密には一頭もいないよいうにひとしかった。
それでこの前年、オーストリアからメス馬を六頭だけ輸入した。好古の話ではこのメス馬六頭をいま青森県、岩手県、宮城県の牧場に放ち、日本馬と交配させることによって雑種ながらも多少馬格の大きい馬を育てようとしている段階であった。
あに さんは心細い軍隊にいる)
と、真之は思った。六頭の西洋馬が雑種の を生んでそれがおとなの馬になるまで日本騎兵はいわば足ぶみをせねばならぬというそういう状態であった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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