いわゆる、 「番町
」 という一角。その麹町こうじまち
三番町に佐久間正節という旧旗本が、先祖いらいの屋敷に住んでいる。兄の好古はそこに下宿しているということを真之は聞いていた。 「ここはどこぞなもし」 と、真之は兄の手紙の住所をひとに見せながらやっと市ケ谷御門までたどりついた。 御門を北へ行って坂を登ると、その台上に陸軍簾官学校がある。好古の下宿は御門から南へ行く。そのあたりはいわゆる番町の旗本屋敷街で、千石以下の旧旗本の屋敷がびっしり建てつまっている。なかでも目立つほどの大きな屋敷が、佐久間家であった。 門のクグリから入って、 「ごめんなさいまし」 と玄関に向かって声をかけたが、とりつぎも出て来ない。三十分ほど待った。 やっとこの屋敷の使用人らしい老女がこの少年を発見してくれて、 「ああ、秋山さんの弟さん」 と、東京者らしくすぐのみこんでで裏の離れへ連れて行ってくれた。 真之は、縁側にあがった。老女はあがらず、 「あたくしはね、よし・・
というんでございますよ」 と、かるがると自己紹介した。真之は不器用に頭を下げたが、もの・・
がいえない。いえば田舎言葉が飛び出しそうで、決死の勢いでそれをこらえていた。 「お兄さまはね、まだお帰りじゃないんでございますよ」 兄の好古は、この屋敷のこの離れ座敷を借りて自炊生活をしている。自炊といっても、この佐久間家の老女中が多少は手伝っているらしい。 「ではごゆっくり」 と言って、老女中は行ってしまった。真之は、部屋に入った。 (ざぶとんもないのか) と、まわりを見まwした。座布団どころか、調度ちょうど
とか道具とかいったものはいっさいなく、部屋の隅に鍋が一つ、釜かま
が一つ、それに茶碗が一つ置いてあり、それだけが好古の家財らしかった。 日が傾きはじめた。 (もう帰るだろう) と思い、真之は佐久間家の中庭を通って門から路上に出てみた。 市ケ谷御門の方から、騎馬の将校が一騎やって来る。従卒があとを追っていた。 「淳か」 好古は、馬上でうなずいた。真之はその服装のはなやかさに驚いた。 騎兵将校というのは各国とも他の兵科の将校と服装がちがっている。好古の場合、肋骨三重の上衣というのは他の兵科と同じであったが、金条きんすじ
の入った真赤なズボンをはき、サーベルを吊きつ
る刀帯とうたい も革ではなく、グルメットという銀のくさりであった。 好古は馬から降り、手綱を従卒にわたした。馬を兵営へ連れて帰るのが従卒の仕事であった。
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