余談ながら、徳川三百年は江戸に将軍がいるとはいえ、三百諸侯が地方々々にそれぞれの小政権を持ち、城下町を充実し、そこを政治、経済、文化の中心たらしめていた。 が、それが、明治四年の廃藩置県でにわかにくずれ、日本は東京政府を中心とする中央集権制になった。 「たいへんな変改だ」 と、これには、幕末から明治初年にかけて駐在した英国公使パークスを驚かしめている。パークスが驚いたのはこの改革事態が革命そのものであるのに、一発の砲弾を用いずして完了したことであった。パークスはこれを奇蹟とした。 その廃藩置県から、子規や真之の中学上級生のころまでに十年そこそこの歳月が経
っている。わずかなその程度の歳月であるのに、 「何をするにも東京だ」 という気分が、日本列島の津々つづ
浦々うらうら の若い者の胸をあわだたさていた。日本人の意識転換の能力のたくましさ、それにあわせて明治の新政権というものの信用
(とくに西南戦争で薩摩の土着勢力をつぶしてからの) の高さというものが、これひとつでも思いやることが出来るであろう。 子規の東京へのあこがれも、こういう時勢の気分の中に息づいている。 「東京の大学予備門に行きたいんじゃ」 と、子規は真之に言った。 真之は家に帰ってから、彼には特別あまい母親のお貞に子規のことを言い、 「あし・・
も中学を中退して大学予備門に行きたいものじゃ」 とねだってみた。 母親は針を使いながら、変事をしなかった。真之が中学校へ通うことすら、兄の好古の送金によってまかなっている。それが、勝手に中退して東京へ出るなど、好古が許すはずがない。ちなみに好古はこのころ陸軍士官学校を卒業して少尉に任官し、東京鎮台騎兵第一大隊の小隊長をつとめていた。 「信兄しんあに
さんは怒るじゃろうか」 「中退してはな」 とお貞は言った。 「ホいでも母さん、中退しても学力さえあれば東京大学予備門には受かるんぞな」 「中退は、ならんぞな」 お貞は、針を動かし続けている。 「ホいでも母さん、正岡の升さんは中退してゆくぞなもし」 「正岡の升さんはな」 と、お貞は言った。 「気のうつりやすいお子じゃから」 お貞は子規の気性をそうみていた。 「それに正岡さんはお金がある」 秋山家は武士でなくなったいわば退職金
── 家禄奉還金 ── というものを、お徒士かち
だから六百円しかもらわず、それに子だくさんだから家計は大変だったが、正岡家は上士であり千二百円の家禄奉還金をもらっているうえに家族は未亡人と子規とその妹しかいない。子規が東京へ行く経費ぐらい、なんとか出るのである。 |