中学四年の子規は、 「あし
の心境はこれじゃ」 と、稚拙ちせつ
な漢詩を真之に示した。 「松山中学只ただ
虚名きょめい 」 というところから始まる。
「地ニ良師スクナク孰いずれ ニ従ッテカ聴カン」
とつづく。 「そんなに少ないか」 真之は、まだ子供であった。どの教師も立派じゃがなあと思うばかりだったが、子規の目から見ればそうではないらしい。 「それでも漢学の先生だけは立派なものじゃろが」 と真之が言うと、子規は急に深刻な顔になって、
「先生は立派でも、ちかごろあし・・
のほうが漢学をうけつけんようになった」 という。 「漢学は頭が固陋ころう
になる」 と、子規は、中学初学年のころあれだけ漢文漢詩に熱中していたことからみると、別人のようなことを言った。 「考えてもお見ィ」 子規がいうのには、松山の漢学の先生はいくら学問がおありでもみな腐儒ふじゅ
じゃ。日本に国会開設を要求してのさわぎあり、ロシアが清国しんこく
をおかして世界の議論がわき、さらにイギリスがどう、フランスがどうというこの地球上が沸きたっちょるのに、松山の漢学の諸先生の目には見えざるごとく耳には聞かざるごとく、田園に悠々閑居して虫食い本をめくっておられる。 「やっぱり、英語じゃ。英語をしっかり学ばんけりゃならん」 と子規が机をたたいたとき、真之はあやうくふきだすところであった。松山中学では英語がよくできるのは真之で、子規は他学科に比べれば格段におちた。 「なるほど、あし・・は」 と、子規は言った。 「英語がでけん。でけんのは、松山中学の英語があし・・に受けつけんのじゃ」 (ずいぶん勝手なことをくやつだ) と真之は思ったが、子規は要するに東京へ出たい、というのが本音であった。 「出たい、出たい。どうにもならんほどあし・・は東京へ出たい」 と子規は言い、かたわらの紙をひきよせ、筆をとって、 「河流は鯨鯢げいげい
(おすめすのくじら) の泳ぐよころにあらず、枳棘ききょく
(からたちやいばらなどの悪木) は鸞鳳らんぽう
の棲す むところにあらず、海南
(四国のこと) は英雄のとどまるところにあらず」 と大書した。 この時期の子規はむろん自分を英雄の卵だと思っており、大まじめであった。 「そこで、加藤の叔父に手紙を出した」 と、子規は言った。 加藤恒忠つねただ
のことである。子規の母の弟で、松山では秀才の名が高く、すでに大学を卒業して外務省に入っていた。真之の兄好古とは少年のころから無二の親友であった。 「ところが、反対してきた」 だからお前の兄あに
さんにお前から手紙を出し加藤のおじ・・
を説得するようすすめてくれ、と子規は言ったが、真之は断った。真之はこの地上で兄だけがこわかった。 |