「これはなんじゃ」 と、真之は、ハガキほどの大きさの冊子
をとりあげて聞いた。 「新聞じゃが」 子規は答えた。美濃みの
半紙を四ツ切りにして毛筆でこまかく書いてある。どうも印刷でないところがふしぎだと思い、かせねて問いただすと、 「あし・・
が作った新聞じゃが」 と、子規はさすがにはずかしそうな顔をして言った。 中学二年の頃、子規は近所から中学へ通っている連中を呼び集めて来て、 「きょうからあし・・
が新聞を作るけれ」 と言って、みなにニュースをとって来させ原稿を書かせ、子規はそれを編集長気取りで文章をなおしたりしてこういう体裁の紙面に筆写した。 「大街道の船田さんの馬があばれたのかな」 と、真之は読みながら言った。大街道という寄席などもある繁華街に、船田という医師が住んでいる。馬に乗って往診することで有名だったが、その馬がある日船田家の門前に繋いであったところ、何が気に入らなかったか通行人を蹴って怪我をさせた。 それだけのことがおもしろく書いてある。 新聞は、二、三号でつぶれた。あと、子規は筆写雑誌をやったりした。この子規の三畳の書斎の前に大きな桜がある。それにちなんで雑誌の名は
「桜亭おうてい 雑誌」 と名づけていた。 「お前も入らんかの」 というのが、今日の子規の真之に対する目的であったらしい。 「あし・・
はやめじゃ」 真之は言下に断った。内心面白そうだとは思ったが、真之にすれば彼も一方の腕白大将であるのに、子規の雑誌に入れば子規にあご・・
で使われねばならない。 「ホウかな」 と、子規はそれ以上勧誘しなかった。後年子規は真之のことを、 「わが剛友・・
秋山真之」 などという言葉を使ったが、真之が如才じょさい
のない伊予人にはめずらしくいやなことはいやと明確に、時にはにべ・・
もなく言うところをどうやら畏おそ
れていたらしい。 「お前は、筆まめじゃな」 真之は、いり・・
豆お噛みながら、子規をほめた。この部屋には机一つと本箱二つしかなかったが、その本箱に入れてある書物は教科書のほかはすべて子規が筆写して子規が製本したものであった。 馬琴ばきん
の小説もあれば 「一休禅師諸国物語」 という本もある。 「造化機論」 という生理学の書物もあった。生理学は中学では習わなかった。写本のもと・・
は他家から借りてきたり、貸本屋から借りてきたりする。貸本屋はこの近所の湊町三丁目に大和屋という本屋があり、ここから借りてくる。借り賃は一日五冊五厘であった。 ついでながら、子規の筆写癖は終生のもので、後年、革命的な俳諧論を展開するにいたったのも、彼が克明に江戸時代の俳人の作品を写し取っていたそういう手の作業のなかから思考が生まれて来たらしい。 |