兄が見違えるほどの大人になって帰省したことが、十歳の真之にはちょっとはずかしくもあり、好古の顔を見たとたん、家を裏口から飛び出して溝川
へ川えびを獲と りに行ってしまった。 母親が、それを追った。 「淳、どこィ行くン」 「えび」 と一声叫んで再び駈け出そうとするそのえりがみを母親がつかんだ。 「逃がさんぞな。兄あに
さんにあいさつお申し。あの兄さんは兄さんであるだけでなしにお前にとっちゃあ命の恩人ぞな」 (それがいやなんじゃ) と、真之は思った。真之が生まれた時家計が貧窮を極め
(今もそうだが) 、父の久敬が、このあかん坊は寺ィでもやらにゃ育てられん、と言ったのを、十歳になった好古が 「寺ィやっちゃいやぞな、おっつけウチが勉強してお豆腐ほどお金をこしらえてあげるぞな」
と言ったということを真之は両親からさんざん聞かされて来た。むろんそれについては真之も、 (信兄あに
さんのためなら命もいらん) と子供心にも思ってきたが、そういう自分にとって重すぎる関係の兄だけに顔を見合わせることがむしょう・・・・
にはずかしいのである。 とうとう母親にしょっぴ・・・・
かれるようにして好古の前に出され、あいさつをせせられた。 「いつ、少尉になるんじゃ」 と、父の久敬が聞いていた。 好古は 「今年は明治十年じゃけん」
とつぶやきながら指を折り、 「明治十二年十二月です」 と言った。 「士官学校というのは三年間な?」 「歩兵科と騎兵科は三年で、砲兵科と工兵科は学ぶことが多いけれ、四年じゃが」 「お前は騎兵な」 「左様」 好古の右腕に蚊がとまっている。血ぶくれていたが、好古は平気な顔で、追いたたきもしない。この男は死ぬまでそういう男だった。 「なぜ、騎兵を選んだぞな」 と、父は訊ねた。 好古の理由のひとつは、年限が三年で早く少尉になれて給料を早くとれるということだった。
「人は生計の道を講ずることにまず思案すべきである。一家を養い得てはじめて一郷と国家のためにつくす」 という思想は終生変わらなかった。 いまひとつの事情は、腕と脚の長大な者が士官学校入学者の中にわずかしかおらず、生徒司令副官の寺内大尉が好古のそういう体格を見込んでこの兵科へ編入させたらしい。 脚が長くなければ馬の胴を締めることが出来ず、腕が長くなければその足らぬ寸法だけ敵の剣が早くのびて来る。 「二年経た
ってあし・・ が少尉になると、淳は小学校を出る。金を送るけん。淳を中学に入れてやってくだされ」 好古は、
「父さんこれは約束ぞな」 と真顔で言った。真之を助けてやってくれと言った十歳の時の言葉を、好古は大まじめで守ろうとしていた。 |