赤坂新町五丁目の青山家の屋敷に行き、門番に来訪の旨を告げると、三十分ばかり路上で待たされ、やがて本郷房太郎が門前まで出て来た。 「御用はなにかな」 本郷は言った。相変らず桃太郎のような顔をしていたが、士官学校の校庭で話をしていた時とは違い、殿様の御屋敷に遠慮があるのか、ひどく小心な、他人行儀な、というよりも胡乱臭
げな顔つきで好古をながめていた。 (来なければよかったな) と、好古は自分のかるはずみを恥じた。考えてみれば士官学校の受験場で出会っただけの仲であるのに、このように本郷の主家までやって来てしまっている自分が、われながら胡乱臭げに思われるのである。 「いや、そこまで来たついでじゃ」 と、好古は歩きだした。本郷は、屋敷に入れなどと言える立場でないのか、一緒に歩きだした。檜坂ひのきざか
の方角に歩いて行く。道はのぼりになり、やがて東京鎮台歩兵営の前に出た。所属不明の土塀がくずれている。そこを入ると、もと小大名の屋敷でもあったのか、荒れはてた庭園がひろがっていた。 「しかし、あれじゃな」 本郷は庭石のひとつに腰をおろし、 「お互いに、めでたかったな」 と、言った。好古は、なんのことじゃ、と言うと、本郷は不審な顔をした。 「知らなかったのか」 本郷房太郎も秋山好古も合格しているのである。好古はちょっと微笑して、 「そうけえ」 と言った。本郷はいきさつを話した。昨日、陸軍省の方から青山家に使いが来て合格者名簿を持って来たという。ぜんぶで三十七名であるという。ちなみに、この士官学校第三期生は結局百名入学する事になったが、彼らのあとも数度試験をしたからであろう。 (これで、救われた) と思った。江戸時代でいえば浪人が仕官の途みち
を得たようなものであった。国元にも名古屋の和久正辰にも報し
らさなければならない。それよりもまず、本郷の言う事が正確かどうか、士官学校へ行って確かめなければならない。 「おい、どこへ行く」 と、本郷はあとを追わなければならなかった。好古は、士官学校へ行く、と言った。 「すると、わしへの用は何だ」 と、本郷は背後から聞いた。いや、それだけじゃ、おかげで果は
たした、と言った。 士官学校では、寺内正毅大尉に面会し、自分の合否を確かめた。 「伊予松山の秋山好古じゃな」 寺内はよく覚えていて、合格している、と言ってくれた。 「兵科は、何を選ぶかね」 「何と何がございます」 と、好古は聞いた。何も知らなかった。 「歩兵、砲兵、騎兵、工兵じゃ」 「あし・・
は騎兵にしますらい」 と好古が行った事が、日本の運命のある部分を決定づけたことになるであろう。 寺内はそういう好古の体格を、ちょうど道具屋の手代のような目でながめていたが、やがて、 「騎兵にうってつけかも知れん」 と言った。
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