試験の当日は風の強い日だった。 好古は定刻の八時前に尾州藩邸あとの士官学校校庭に行くと、すでに応募者二百人ほどが集まっていた。どの顔を見ても好古同様田舎くさく、服装なども垢抜
けず、一見して田舎者ぞろいであった。 こういう中でも、薩摩と長州が目立った。 彼らは一群をなして屯たむろ
しており、大声で地ことばを使っているために、どれが長州か薩摩かよく分かった。 「採と
るのは五十人ぐらいじゃろう。従兄いとこ
がそう申しちょった」 と、仲間同士で話している。 (五十人しか採らんと言うなら、あし・・
はいけんじゃろうな) 好古は失望した。どっちでもいいと思い、煎餅せんべい
をかじっていた。朝が早かったため寮では朝飯の支度が出来ておらず、やむなく途中で煎餅を買って来たのである。 好古の横に顔の大きな、しかし色白で五月人形の桃太郎のような顔の男がいて、 「厠はどこじゃろか」 と、心ともなげに好古に聞いた、好古が知るはずがなかった。 「あんた、小さい方かね」 好古は煎餅を歯の間から抜いて、聞いた。ああ、小さい方だ、というから、 「どこか、その辺の松の木にでもしておけ」 と言ってやった。松山では士族でもそうであった。ところが青年は行儀のいい藩育ちらしく憤然として、 「そうはいかん」 と半ば叫び、どこかへ走って行ってしまった。やがて戻って来た。律義りちぎ
で小心な感じの男であった。 「あんたは長州ではあるまいな」 「丹波たんば
篠山ささやま だ」 桃太郎は、言った。ひどい山国から来たものだと好古は思った。 「あしは伊予松山の者で秋山好古というのじゃが、あんたは」 「本郷房太郎」 「年は」 と好古が問いかさねた時、 「あんた、ここの教官かね」 と、背の低い本郷は好古を見上げながら、憤おこ
った顔で言った。しかしすぐ 「十八」 と小さな声で答えた。どこか、可愛げのある男だった。 (こいつは出世するなあ) と好古が思ったのは、父の久敬が藩から県にかけての小役人生活で得た智恵のようなものをよく語っていたことを思い出したからだ。可愛げのある男は出世すると言うのである。 本郷は、一種の福相をしている。軍人などになるより、越後屋あたりの番頭をでも志した方がよさそうに思われた。 しかもこの本郷は案外機敏で、薩州や長州のグループもとに行ってはその話を立ち聞きしてきて、好古に教えてくれた。 薩長の青年たちは、親類か先輩に陸軍幹部か多いせいか、学校や入学試験についてのことをよく知っていた。 「英語をやらん者は落すそうじゃ」 と、本郷は聞き込んで来てそう言ったが、好古は平気だった。落すなら落せと思った。 |