結局は、好古は名古屋をあとにした。汽船の中で、和久正辰のことをあれこれと思った。 「これでええのでしょうかの」 と、好古は出発前、和久正辰に何度も言い、その親切に甘えっぱなしでいいものかどうか、身の縮む思いでいた。しかし和久正辰は、 「いいのさ」 と、そのつど言った。 「おれにとっては事務にすぎぬが、おまえにとっては一生のことだ。あとさきの事務のうるささぐらい、なんでもない」 船は、横浜に着いた。ここが船会社のコースの終着点である。東京までは小蒸気船が旅客を運搬している。好古は品川に上陸した。 あとは、市中まで歩いた。 「東京に着いたら、日本橋浜町河岸
のお屋敷へ行け」 と教えられている。旧幕時代 「浜町の御藩邸」 といわれていた小さな別邸で、今も旧藩主久松家の所有になっており、久松家では旧藩士が上京して学校に入る場合の寮として使わせていた。 そこへたどり着いたのは、夕方である。すでに和久正辰からの手紙で連絡済であったから、 「入れ。──
」 と、世話役のひげ面ずら
に言われた。旧幕時代、江戸詰めの剣術指南であったという。すぐ部屋に案内された。寮というのはもとのお長屋で、一室に書生が二、三人住みついている。 「ここで起居せよ。寮規は守らねばならぬ。一に清潔にすべきこと」 と、ひげ面は言いわたしたが、実際にはたれも掃除などはしないらしく、部屋は雑然としており、畳はおもてがふやけ、湿ったほこりが足の裏についた。 夕食には煮魚が付いた。 「士官学校を受けるんじゃと?」 と、法律を勉強しているという書生が、鼻で薄く笑いながら言った。 「よせ、筋の通った人間の行くところじゃない」 「はあ」 好古は、わざとにぶい顔をし、とりあえずは飯を食うことに専念した。腹が減っていた。煮魚は、伊予の魚に比べるとひどくまずかった。どうせそのあたりの河岸から古い屑くず
ざかなを買ってくるのだろう。 「土百姓や物売りの子が兵隊になる世の中じゃ。そいつらの尻ふき仕事じゃぞ」 「しかし、官費ただ
ですけん」 「ただなら、馬の糞くそ
も食うというのか」 好古はだまった。 めしを食い終わり、箸を置くと、 「貴方あん
さんは、お覚悟があって右のごとき暴言を吐かれたのかな」 と、静かに言った。 「ひとを故なく罵ののし
りなさる以上、命をお賭けになっておるのじゃろうと思いますがな。私もここで命を捨てる覚悟がでけ申したけん、チクと表にお出い
でませ」 相手は、真っ青になった。 |