「軍人の学校だよ」 と、和久正辰は言った。 (なんのことじゃろ) という顔つきで、好古はぼんやり正辰の口もとを見ていた。 「秋山」 正辰は、どなった。 「おまえは、若いのか年寄りか」 「若うございますらい」 「若ければ、敏感に反応しろ、好きかきらいか、どっちだ」 「考えたこともないけん」 と、つぶやいた。出来れば学者になりたいと思って勉強して来た。それがいきなり鼻さきで兵隊になるかならぬかと問われたところで、即答出来るわけがない。 第一、兵隊というのは薩長の独占だと聞いてきたが、割り込む隙があるのか、と思い、そこから質問してみた。 「ある。こんど、学校が出来た。日本人であればたれでも入れることになっている。士官学校というのだ」 「あし
に?」 好古のこの時期はきわめて鈍い。和久正辰はいらだって、 「あし・・
でもたれでも入れる」 「しかし和久先生は以前、非藩閥人は教育界にでも入るしか仕方がないとおっしゃったように憶おぼ
えますが」 「言った。いまもその心は変わらないが、ここにも官費ただ
の道がある。とわざわざ教えてやっているわけだ。貧乏士族の子はただ・・
の道でみずからを救って行くしかない。好き嫌いは二の次だ」 (それもそうだ) と思った。 「行くとなれば、いますぐ願書を出すべく上京せねば間に合わぬ。どうする」 「しかし、こちらに義務年限がございましょうが。これはいかが仕ります」 「そこがむずかしい」 官費で師範学校を出た以上、国家に対して三年間だけは教育をせねばならぬ義務を負わされている。ただ、別な官立学校に再入学するばあいは義務年限は半減される。半減されてもなお一年半という期間である。好古はまだ教員を半年やったにすぎない。 「そこはわしが奔走して」 と、和久正辰が言った。 なんとかする、という。ここに抜け道がある。好古を
「東京予備教員」 というものにして東京へやる。給料はうんと減って八円になるが、現実にはどこにも勤めなくてよい。要するに名目だけである。 「とにかくあとはなんとかする。まず病気欠勤願いを出せ」 和久は、度外れの親切者だが、ひとつは自分の企画に熱中するたちの人物で、言い出したら目の前の好古を八つ裂きにしてでも、陸軍士官学校に押し込んでしまいたいというそれだけの欲望に駆られてしまう。正辰は息を弾はず
ませている。こういう人物にかかると、一つ間違って彼の思うとおりにならなければ、こんどは逆に憎さ百倍になってえらく怒りだすということになるであろう。 好古は、身をまかせるしか仕方がない。 |