「一種名状しがたい哀
しみがあった」 と、秋山好古は、晩年、こんころのことを想い、わずかに洩らしている。青春というものは通常陰鬱なものかも知れない。 話し相手といえば、校長と寺男だけであった。好古は最初、校長を姓で呼んでいたが、 「礼の無いのもはなはだしい。わしをなぜ校長先生と呼ばぬ」 と、彼は強要した。好古は内心そんな馬鹿なことがあるかと思った。べつに師でもないのに先生と呼ぶ必要があろうか。 「やはり、呼ぶべきでしょうかの」 と、なまぬるい松山弁で言った。校長は、不機嫌そうにうなずき、 「念を押すまでもない」 と言った。そのあと、校長先生と呼ぶことにしたが、校長はある日、 「聞くが、君は何のつもりでコウチョウ先生と呼んでいる。どういう文字を書く」 と言うから
「校長先生」 と書くと、いいやと大きくかぶりを振り、こう書くのだ、と言って石盤せきばん
に、 「紅鳥先生」 と、四つの文字を書いた。どういうつもりでこんな事を言い出したのか、好古には不可解だったが、とにかくそれがわしの雅号で、雅号で呼ぶのが礼儀だ、
「左様心得てもらいたい」 と言うのである。 (そんな礼儀があるものか) と思ったが、しかし音おん
は同じだから、以後はコウチョウを紅鳥のつもりで呼ぶことにした。そういえば校長はどこやら鳥に似た顔をしていた。 紅鳥は妙なところがあった。ひとにも、 「あれは私の門人です」 と、好古のことを言う。 あるとき好古がたまりかねて抗議すると、 「君はそうだからいけない」 と、言った。 門人なのだ、と言う。小学校というのは日本風に言えば塾である。塾に師匠というのはただ一人だけであり、他の教師は師匠のかわりをつとめる師範代であり、門人にかわりはない。 (ばかな) と思い、
「公立小学校というものはそういうものではありません。それとも長州がそのように決めたのですか」 と、思い切って言ってやった。好古は一種のコ人で、こういう皮肉たらしい言い方をしない男だったが、このあたりが若かった。 さらに言った。 「長州が政府を私物視し、校長が公立学校を私物視することになれば、日本はどういうぐあいに相成りましょう」 「君は」 校長は、右手の扇子を大きくふりあげておのれの左掌ひだりて
をはげしく撃った。 「乱臣賊子だ」 好古は辞や
めてしまおうと思ったが、国を出るとき父から言われたことを思い出した。 「世間にはいろんな人間がいる、笑って腹中に呑みくだすほかない」 呑みくだす気にはなれなかったが、珍物として敬遠しようと思った。
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