秋山好古にとって、この時期の青春は必ずしも明るくない。 むしろ陰鬱
であった。 「おまえが新任の教師か」 と、翌朝、学校にやって来た校長が、本堂わきの小座敷で言った。 「わしが、校長の平岩又五郎だ」 旧幕時代には船場のどこかで私塾を開いていた浪人心学者しんがくしゃ
だと好古は聞いている。 心学者というのは道徳を俗にかみくだき、町人の生活に即しつつ処世しょせい
の道を教えてゆく道学どうがく
の徒で、旧幕時代の大阪にはこの学問の先生が多かった。御一新になって平岩は妻の父が長州下関の出身であったためにそれを縁につて・・
を求めて、長州人に接近し、やがて小学校制度が布し
かれるとこの野田小学校の校長となった。 「児童には勤皇を教えにゃならん」 と、平岩はこの流行思想についてトウトウと述べ始めた。 「御一新になってもこのあたりの者は天子さまがいかに尊くおわすかを知らぬ。それを教えねばならぬ」 好古は、黙然もくねん
と聞いている。 「君ならどのようにして教える」 「まだ」 と、大きなまぶたをあげた。 「考えておりませぬ」 「それでは困る。君もショウイチイナリ大明神だいみょうじん
というのを、存じおろうが。秋祭などで太鼓をたたきながら囃す、そら、ショウイチイナリ大明神」 「正一位しょういちい
稲荷大明神いなりだいみょうじんでございますか」 「そうだ。稲荷よいうのは商売繁盛はんじょう
の神で、この土地は商賈しょうこ
の多い町ゆえ、大いに崇敬されている。その稲荷大明神の御位みくらい
は正一位である。子供といえどもそれを知っておる」 (いったい、何を言い出すのか) と、好古は思った。 「その神の御位を、どなたがお与えになる」 「天子さまです」 と、好古は答えた。古来、生きた人間や歴史上の人物、さらには神にいたるまでの位階を出すのは天子さまと決まっている。伊予松山の殿様は従四位じゆしい
であった。こいうい階位は、旧幕時代は幕府の手を経て朝廷からくださることになっている。 「そうだろう。天子さまだ。稲荷大明神のようなえらい神さまでさえ天子さまから位をもらってようやく尊い。天子さまがどれほど尊いかは、そのようにして教えよ」 (なるほど、これが心学か) と、好古は話に聞いている大阪の町人学問というものが分かったような気がした。 「君は、賊軍の藩だ」 と、校長は、いきなり言った。好古は驚き、賊軍ではない、降伏して土佐藩預かりになった藩だから賊軍ではない。と抗弁すると、
「似たようなものだ」 と校長は言い、 「だからとくにこの天子さまについては留意してくれねば困る」 と言い、訓示が終わった。この学校は校長のほかには好古だけが教師だから、すぐこの日から授業をやらされた。 |