好古は府庁を出ると、すぐ新任地の野田へ行こうとした。野田というのは、大阪の西郊にあり、厳密には市内ではない。川筋で船頭に道を聞くと、 「野田というのは一里ほどおますがな」 と、言った。
「舟に乗りなはれ」 とすすめられたが、銭の要
ることは苦手だった。 とにかく市中を横切って歩くことにした。 野田に着いたときには、すでに夕刻になっていた。寺があった。 「野田小学校」 という看板が出ていた。それへ入ると、寺男のような老人が出て来た。 「ああ、先生でごわりますか」 と、すでに新任の先生が来るということはわかっていたらしく、本堂に通してくれた。 むろん児童はおらず、須弥壇しゅみだん
一つがあって、あとは冷え切った畳が三十畳ほど敷かれているだけである。 「先生、お宿は」 「まだ決めとらんがの」 と言いながら本堂を出た。そこに太鼓楼たいころう
があり、砦とりで のやぐらのように高かったから、好古は登ってみた。 窓からのぞくと、天保山てんぽうざん
の方角にかけて一望の田園である。東には大河が流れており、その河むこうが大阪の市街地であった。夕もや・・
が立ち、炊煙すいえん がのぼり、腹がへりきっているせいもあって、 (えらいところへ来たな) という思いが、こみ上げて来た。 降りると、寺男はまだいる。寺男が、 「どうしなはる」 と、もう言葉つきまで馴な
れなれしくなっていた。 「下宿のことや。よかったら、うちを下宿にしなはれ」 と、好古の荷物をとった。まるで旅籠はたご
の客引きのようであった。 寺男は、寺の門長屋に住んでいる。部屋は二間あって、 「一間を先生に使わせる」 という。下宿料は、 「賄まかな
いつきで五円にしときまっさ」 と言うのである。 好古は府の学務課で、 ── 下宿の件は、学校の世話人が決める。 という話を聞いていた。学校の世話人というのは町なら町年寄、村なら村役人といった土地の有力者がその役をしているから、先生の下宿となれば富家の屋敷の離れ座敷でも提供するということになるはずであり、寺男の長屋などを間借りせずともよかった。が、寺男はしつこかった。 「五円が高いなら、三円にしときます」 と、あっさり値下げをした。 「どうだす」 「あし・・
は腹がへっている。めしを食わせてくれるか」 不覚にもそう言ったことが、この門長屋を下宿にせざるを得ぬはめ・・
になった。 |