〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-V』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(一)
 

2014/09/25 (木) 

春 や 春 (十)

秋山好古は、
「河内四十五番小学校」
というものに勤務を命ぜられた。ところがすぐ本教員の検定試験が大阪府庁で行われるというので出かけてみると、それも簡単に合格してしまった。
月給が二円あがって、九円になった。
(こんな容易なものか)
と、そろそろ疑問をいだくようになった。わずか数えて十七歳の学力だから、自分の力がさほどのものでないことはよく知っている。それが簡単に本教員になれたのである。
(おおさかとはまあ、なんと無学者の多いところじゃろう)
と、思った。試験成績は好古が首席であった。
「おまえは、よくできるな」
と、府の教務課の役人が言った。この役人は市中の神社の神主かんぬし をしていたという大きな顔の男で、
「学力があるからといって慢心してはいかん」
と、必要もない訓戒くんかい を垂れて、威厳を見せた。好古にすればべつに慢心しているわけではなかったから、
「そりゃ、心外でござる」
と、旧藩の士族言葉で抗弁した。べつに慢心はしておらぬし、慢心しているどころか。自分のような学力で首席であるとはかえって心細い、 「心もとなく思っております 」 と言うと、役人はむっとしたらしく、
「他の者の出来が悪すぎるというのか」
と、大声で言った。好古はそうじゃけんそうです、と言い、
あし・・ の国なら、あしのような者は、みい ですくうほどおりますらい」
と言った。正直な感想であった。松山のどじょう・・・・ が大阪ならこい で通用するというのではどうにも心が落ち着きませぬ、とまで言った。元来が口の重い男のくせにこんなことを言ったのは、
(松山の士族がかわいそうだ)
と思ったからであった。徒士町かちまち 一町内だけで考えても、 「資治通鑑しじつうがん 」 という書物をことごとくそらん じているオイサンもおれば、孟子の研究にかけては藩の儒者も頭を下げたというオイサンもいる。それらがことごとく没落してその日の暮らしにも窮しているというのに、自分程度の者がこんなうまい目をしていいのかとこの少年は思うのである。
本教員になったために、勤務学校をかえさせられることになった。こんどは市中の学校であった。
「野田小学校」
ということになった。役人はそれを申しわたしてから、
「月給が二円あがる。その二円でふるて・・・ を買え」
と、またおせっかいなことを言った。ふるてとは、この町では古着のことをそういう。
役人は好古の服装の粗末さを見すごしかねたのだろうが、好古にはその二円の昇給についてはあて・・ があった。それに一円を足して三円にし、国もとの父から借りた旅費をかえさねばならない。家計をしている母はそれを待っているであろう。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
Next